吹雪の梓川沿いを河童橋まで

吹雪の中を河童橋まで歩くことにする。

中千丈沢の辺りも雪に埋もれる。

焼岳から穂高にかけての稜線は雪雲に隠れてしまい相変わらず見ることはできませんが、対岸の自然林だけはかろうじて見ることができます。

いつもなら穂高、明神が見えるはずだが・・・・・

原生林に中には変わった形の木も見られる。

林の中を歩くときは吹雪もなく楽だ。

降り注ぐ雪が画像で確認できると思います。
懐にカメラを隠し、撮影のときだけサッと取り出して撮影するのです。

林を抜けるとまた吹雪です。
カラマツの幹には吹き付けられた雪が張り付く。

小さな沢、風水画の世界に水生植物が見られる、ホッとする瞬間。
画面には雪が降り注いでいます。

木橋に出てきました、この辺りは田代池の湿原です。

原生林のなかに、ぽっかりあいた草原に広がる湿原の浅い池。
池のなかには幾つかの島々があり、まるで水田のように明るく穏やかな風景があります。「田代」とは水田のこと、水田のような湿原という意味でしょうか。

1914(大正3)年、W・ウェストンは上高地と別れる日、最後に田代池を訪れています。
著書にはこんな言葉が記されています。

「早朝、すがすがしく澄み切ったなかを、私たちはしょんぼりと梓川谷をくだっていき、人影のない田代の池を通りすぎた。鏡のような沼面は穂高の灰色の断崖と輝く雪を静かに映していた」。

田代池は穂高岳と焼岳を眺めるには、もっとも適した場所であると言う人もいるほど。W・ウェストンもそう感じていたのでしょうか。
これが、W・ウェストンが穂高を見た最後でした。

氷点下になる季節も田代池は全面結氷しません。
水温の方が高い季節の早朝は、周辺の木々は霧氷に包まれて幻想的な風景をかもしだしています。

吹雪は中々止みそうにありません、波状攻撃のごとく襲ってきます。

かと思うとつかの間の青空、ホテルのフロントの人が言っていた冬日というのはこういうことを言うのだなと感心。

一瞬のうちに雪雲に覆われてしまいます。

水底の赤味がかった色が印象的、いたるところで水生植物が観測される。

梓がの川べりに出てみる、下流を眺めるが何も見えない。

梓川の上流を眺める。

飛騨山脈(北アルプス)の槍ヶ岳(標高3180メートル)の南斜面付近を源流域にして流れる梓川は、上高地の堆積平野の中を蛇行しながら流れていきます。

上高地を出ると「梓川渓谷」と呼ばれるV字谷を形成しながら東へ流れ、松本盆地で奈良井川(木曽山脈から流れてくる)と合流し、高瀬川(信濃大町・白馬から流れてくる)との合流点で「犀川」と名前を変えます。

あの有名な古戦場の川中島で千曲川となり、そして信濃から越後へ流れ信濃川と名を変えます.

小さな沢は降り積もった雪が氷となり見た目には寒そうに感じる。

落ち葉と水生植物のコラボレーション、水墨画の世界に彩りを添える。

自然研究路の中を歩いています、田代湿原の真っ只中。

外気温に比べて水温は温かいのだろう、水生植物は生き生きとしている。

小川の水は扇状地形の緩やかな傾斜のついた原生林の中を蛇行しながら流れ、梓川に合流していきます。

向こうに田代橋が見えています、よく見ると小さな小鳥です、スズメより大きいのですがなんという鳥かわかりません。

田代橋の奥が穂高橋、1998年(平成10年)11月に竣工した両橋は、長野県産のカラマツとヒノキだけを使い、景観を損なわない配慮して造られた木道です。

田代橋と穂高橋の間は、梓川の中州。 
本来なら焼岳、穂高岳の眺めが素晴らしい場所です。

梓川の川向こうに 六百山、三本槍、霞沢岳が見えます。
穂高の山々の前にあって影が薄いですが…

やっとマガモを見つけました。
いつもは大正池の湖畔にはマガモたちが遊んでいるのですが、吹雪とあっては一匹もいません。

「日本アルプスと登山の探検」の紀行文を発表し、中部山岳を世界に紹介した、英国人牧師ウォルター・ウエストンをたたえる碑。

ウエストン碑は、昭和12年に日本山岳会がウエストンの77歳を祝って作ったもので、昭和40年にかけなおされている。

雪のこの時期、自然探究路は歩きにくく車道を歩くことが多い。

本来ならこのような木道を歩くのですが。

明日から上高地は閉山です、この時期工事用の車の通行が多く注意が必要

既にあちこちで工事が始まっています。
夏場は人が多く工事ができないので閉山の時期を目指して集中的に工事が行われます。

流域は古来より梓の産地であり、梓弓(あずさゆみ)の材料として朝廷にも献上されていて、このことが梓川の名前の由来になったとも言われている。

カバノキ科の植物で、落葉高木だそうです。
材質は堅く、器具・家具材とし、古くは弓や板木に利用されたそうな。
なるほど、それで「梓」は朝廷に献上されたんですね。

山荘かホテルか、林の奥にそっと息をひそめているよう。

雪の中に白樺が美しい。
木肌が白粉を塗ったように白いのがシラカンバ、ダケカンバはやや赤味を帯びる。

この付近で見られるのはほとんどシラカンバでダケカンバは主に山腹の針葉樹林の中やさらに高いところに生育する。

六百山に一瞬青空。

その直後にこのような猛烈な吹雪。

河童橋までやって来ました。

上高地を代表する観光スポットである河童橋。
河童橋は1891年に初めて橋がかけられ、その後何度か架け替えがあり、現在は5代目となっている。

河童橋と穂高連峰を背景にした写真は、絶景であり多くの観光客の撮影ポイントとなっている。

どうですかこの吹雪、目を開けていられません。

この壁面、地吹雪が吹き付けられたものです、凄まじいばかりです。

梓川の上流も吹雪いています、穂高連峰も見えません。

北アルプスに生を受け大正池を後にした清流梓川はこの後数百Km の旅をして日本海にそそぎます。
その川の長さは日本最長です。

上高地のことを、まるごと理解できちゃう場所がここ、ビジターセンター。
上高地のシンボル・河童橋を過ぎた小梨平の入り口にある情報基地です。

この時期人影はまばらです。
見えているはずの穂高連峰は雲で見えません。

上部を雪雲で隠されてしまった明神岳。

穂高連峰も雲が隠す。

河童橋の向こうに穂高連峰と明神岳が少しだけ見える。

標高2931メートルの明神岳は、かつて「穂高大明神が鎮座する山々」という意味で、穂高連峰全体をさす言葉として使われていたといいます。

かつて上高地へは徳本(とくごう)峠を越えて入山するのが常であり、穂高神社奥宮の祭られた明神は峠を越えた到着点として、この地を見た人々は神々しく見つめて崇拝したにちがいありません。

「上高地」とは現在の明神を指しての言葉とも言われています。
現在の明神岳は、前穂高岳から張り出した尾根の一つを称しますが、ふもとの明神には穂高神社奥宮が祭られ現在も多くの人々に信仰されています。

やっと頂上まで見えた。

バスターミナルまで戻ってきました。
平湯温泉や乗鞍山頂(畳平)、新島々バスターミナル、沢渡駐車場など各方面に行くバスが発車を待っています。

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