兼六園逍遥

北陸

月見のおわらのかえり、金沢の街を歩き回った。
兼六園はこ岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つに数えられる。
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八坂は”はっさか”と呼ぶ。
つい”やさか”と呼びたくなってしまうが、”はっさか”である。

昔、この付近に、きこりが通う坂が8つあり、そのうちの1つが残っていて、八坂と呼ばれている。

付近に宝幢寺(ほうとうじ)があったことから宝幢寺坂、また加賀八家の奥村伊予守(宗家)の屋敷横にあるため、伊予殿坂とも呼ばれた。

金沢の名所、兼六園の水、これは辰巳用水の水である。
犀川を水源とし、上辰巳から兼六園まで、およそ12Kmの長さがあります。

千歳台の明治紀念之標と向かい合うように立っている根上の松(ねあがりのまつ)。
根上の松は黒松で、13代藩主斉泰が若松を自ら植えたといわれている。

名の由来は、40数本の根が地上2mまでせりあがることから。
これは、土を盛り上げて若松を植え、成長にともなって土を取り除き、今の形につくり上げたものだ。

樹齢約200年、高さ15m以上の堂々たる姿は、唐崎の松とともに兼六園を代表する名松である。

曲水にかかる雪見橋の正面にある築山。
七福神に見立てた七つの自然石を配してあることから、七福神山(しちふくじんやま)の名が付いた。

兼六園のほぼ中心部に位置する、園内で最も大きな池、池霞ヶ池(かすみがいけ)。
周辺には徽軫灯籠、虹橋、唐崎松、蓬莱島、栄螺山、内橋亭などの名勝や銘石、植木が配され、廻遊しながら四季折々の庭景を楽しめるよう配慮されています。

兼六園の象徴徽軫灯籠(ことじとうろう)は兼六園のシンボルとしてよく知られ、観光写真でも度々登場する2本脚の灯籠。

水面を照らすための雪見灯籠が変化したもの。
形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ているため、その名が付いたと言われています。

二股の脚は元々同じ長さでしたが、何かの原因で折れてしまい、石の上に片脚を乗せてバランスを保っています。

この季節、ススキとのコラボレーションが素晴らしい。

兼六園に向かい合って建つ石川門はかつては搦手門(からめてもん)と呼ばれる裏門でした。

2層の菱櫓と複数の門が組み合わされた枡形(ますがた)と呼ばれる複雑な構造になっており、敵が進入してきたときに勢いを鈍らせる目的で設けられたものです。

白く見える屋根瓦には鉛を使用。溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも言われています。

かつての「いもり堀」は、金沢城の南西側を囲む外堀で、明治40年(1907)、旧陸軍により上部の削平と埋め立てが行われ、その跡地は、陸軍用地を経て、戦後はテニスコートとして利用されました。

テニスコート移転後から順次、埋蔵文化財調査を進め、平成15年から16年の堀底や櫓台の調査により、「いもり堀」の基本的な形状が明らかになりました。

堀には、兼六園を経た辰巳用水の一部を入れ、往時とほぼ同じ水深(5尺≒1.5m)の水堀が実現。

金沢21世紀美術館の方向から金沢城本丸を見ると、辰巳櫓跡付近の石垣が見える。
この石垣の最上部、下の道路からの高さは30m以上になり、見上げるような感じになる。
この石垣、城の石垣としてはちょっと不自然である。
石垣が3段に積まれている。(注: 別の石垣があるのでこれを含めると4段) 

この上に櫓があったとすると、通常は高い石垣にする部分である。
実際、藩政時代にはここは一段の高い石垣であった。(注、堀の石垣は別になるので、これを含めると2段) 

その石垣が明治期に崩れ、その修復の際に3段に積まれたそうだ。

この石垣が崩れた理由であるが、金沢城は明治期には陸軍が使っていて、建物を建設しようとして石垣の下をいじったことらしい。

花見橋から上流の曲水の中にある鶺鴒島(せきれいじま)。
イザナミノミコトとイザナギノミコトが男女和合の方法を鶺鴒から教わったという故事になぞえらた島名。

別名「夫婦島」。

東南に向かって高さ約3mの明神鳥居があり、「三社」と書かれた石額がかかっている。

島の中央には、女性を表す陰石と男性のシンボルを象った陽石の一対「陰陽石」、石の後ろには右に雌松、左に雄松の「相生の松」、島の右端には五重の石塔がある。

山崎山の北麓にある芭蕉の句碑(ばしょうのくひ)。
別称、翁塚。

元禄2年(1689)、松尾芭蕉が奥の細道行で来沢した際の句「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」が刻まれている。

この句は金沢で披露されているが、『おくのほそ道』では金沢から小松に行く途中吟とされている。

小立野口付近にある紅葉の季節は必見の山崎山(やまざきやま)、一面を覆った苔の緑が美しい築山。

山頂まで散策することができます。

別名「紅葉山」とも呼ばれ、秋になるとカエデ、トチノキなどが赤や黄に美しく色づきます。

山腹には白川御影石でつくられた五重の塔(御室の塔)や御亭が有り、また、山麓の岩間から流れ出る水は、約570mの曲水となって霞ヶ池に注いでいます。

氷室跡(ひむろあと)

旧暦の6月1日は氷室の朔日といわれ、藩政時代、加賀藩では冬に詰めておいた雪を氷室から取り出し、桐の二重の長持に詰め、8人の飛脚に担がせて江戸へ運んだ。

江戸の加賀屋敷から将軍家に献上され、藩主以下がお相伴に預かる慣わしであった。

現在も、金沢では旧暦6月1日にあたる7月1日を氷室の日とし、氷室饅頭を食べて無病息災を願う習慣がある。

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