御幸森天神宮のある地域は古くから猪飼野(いかいの)と呼ばれ、猪甘津(いかいのつ)と呼ばれる古代の港があったことに由来する。
猪甘津は日本書紀仁徳天皇十四年の条に記され、猪甘部(いかいべ)と呼ばれる官職を務める者が住んでいた。
猪甘部は朝廷への貢物として豚を飼育する役を司っていた。
また付近は百済野と呼ばれ百済からの渡来人が多く住んでいた。
水鳥が集まる景勝地であったとも伝えられている。
伝承によれば、仁徳天皇が鷹狩や渡来人の様子を見聞する御幸に際して、度々この地の森で休憩したことから御幸の森と呼ばれるようになったとされる。
仁徳天皇崩御の後の反正天皇2年406年、天皇の神霊を祀る社が建立され、御幸の祠や御幸宮と称されたと伝えられている。
境内に遙拝所があって「仁徳天皇腰掛石」があります。
難波津の歌(なにわづのうた)の碑
古代に百済から渡来し日本に論語や漢字を伝えた王仁博士が詠んだ歌。
古今和歌集の仮名序で「おほささきのみかどをそへたてまつれるうた」として紹介されている。
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花
万葉仮名・和文・ハングルの3種類の文字で刻んでいます。
応神天皇の死後、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子と大雀命(おおさざきのみこと)が互いに譲り合ったため3年間空位となっていた皇位に大雀命が就き、仁徳天皇となった際にその治世の繁栄を願った歌と言われる。
御幸通り商店街は、JR環状線の鶴橋駅と桃谷駅の間にある商店街で、キムチやチヂミなど韓国食料品店や飲食店、民族衣装の店が300m程の通りに約150店舗が軒を並べる。
多くは在日コリアンの人々による経営で、街中にハングルがあふれ、全国で最も在日コリアンの人々が集中する地域とされる。
お昼をいただいた店に陳列してあった民族衣装。
薬箪笥
どこにどんな薬が入っているかすぐ見分けがつくように、全ての抽斗に薬の名を書いた札が貼られている。
韓国らしいツボです。
チマチョゴリも展示販売されています。
お祭りのお面、実際はお祭りが終われば焼却されると聞いた。
二体一対の木彫り像の名前は「ジャンスン」です。
村・寺の入口や田畑の傍らに立てられるジャンスンは韓国の民間信仰の一形態として、村の不祥事を防ぐ守護神でした。
ジャンスンの由来に関しては、男根崇拜思想から始まったという説、寺院の境界を表すためにあったという説などがありますが、村を守るために立てたという説が有力です。
韓国や中国では赤い唐辛子はお守りとして有名で、玄関や窓などにぶら下げて魔除けとしています。
邪気を受けるたびに、この唐辛子が貴方の身代りとなって、災いや厄とともに落ちていくと言われています。
店の前ではネコちゃんが居眠りしながら店番です。
キムチは、主原料の種類、形態、使っている副材料の種類及び使い方によっていろいろと区分され、専門研究機関の調べによると、キムチの主原料による分類で187種に上っています。
タコのぶつ切りにニンニク、唐辛子、ネギなど韓国独特の味付けをした塩辛等々。
平成元年、1989年に、大阪市政100周年を記念して造られたマンホールです。
中央に市の花・パンジー、周囲に市の木・サクラと市章が描かれています。
雨水管マンホール蓋。