この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2012年7月15日訪問時のものです。
宵々山のこの日ゆっくりと屏風祭、懸装品、祭りの雰囲気を楽しもうと京の町に繰り出した。
楽しみの第三段は懸装品を間近で見る贅沢。
山鉾巡行では暑い中、人波にもまれながら一部分しか見れません。
懸装品はたくさんあって、今日どれを使うかはその時の気分といわれるくらい所有されている懸装品の一部しか見れません。
宵山、宵々山では鉾町をゆったり歩きながら多くの豪華な懸装品を間近で鑑賞できるのです。
これも祇園祭の楽しみ方の一つです。
保昌山見送の「福禄寿星図」
保昌山は丹後の守安井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。
芦刈山見送「唐子嬉遊図」文政3年(1820)
芦刈山謡曲「芦刈」に基づく。
故あって妻と離れて浪速の浦で芦を狩る老鶯が、やがて妻との再会を果たす夫婦和合の姿をあらわす。
芦刈山見送「鶴図」山口華楊原画 昭和60年(1985)
芦刈山のご神体の老翁が着ていた「綾地締切蝶牡丹文片身替小袖」は、襟のところから天正17(1589)年、織田信長から拝領したことが記してあるものが見つかり、山鉾最古の衣装であるとして昭和45(1970)年に重要文化財に指定されました。
これも長持ちの隅に括ってあったそうです。
今の衣装も町内の協力で新しく拵えたものだそうです。
芦刈山前懸 「欧風景 毛綴(4枚継ぎ)」(水引:波涛に鳥 中国刺繍補子)天保3年(1832)
油天神山胴懸 「紅白梅」
木賊山のお会所飾り。
懸装品が所狭しと並べられ、奥には御神体が。
大概の鉾のお会所飾りはこのようになっている。
岩戸山の見送は,1986(昭和61)年に復元新調された「日月龍唐子嬉遊図」の綴織(一部刺繍)及び、皆川泰蔵作のロウ染「ベネチア図」。
白楽天山の現在巡行に使用される見送は、昭和28年に製作された染織作家山鹿清華の『北京万寿山図』手織錦である。
万寿山は北京の西北にある清朝の離宮。
役行者山の水引、前掛、胴掛。
役行者山の水引、胴掛、見送り。
役行者山の見送り。
役行者山の見送り。
黒天山の見送り、「牡丹双鳳文綴錦」
占出山 胴懸 日本三景より「松島」
占出山は前懸は日本三景より「宮島」、胴懸は日本三景より「松島」と「天橋立」の美しい綴錦で復元新調されたものを掛けて巡行しています。
占出山 前懸 日本三景より「宮島」
占出山 胴懸 日本三景より「天橋立」
大金幣
文化11(1814)年に製作された、縦2.3メートル・巾1.5メートル、和紙に金箔押しの巨大な金弊。
文化元年に製作され、南四条町が祭当番の年に北四条町が製作した龍頭と隔年で使用。
龍頭を失った現在では、大船鉾を象徴するものとなっている。
大船鉾の鉾は、幕末の「蛤御門の編」の大火で木組や車輪が燃えてしまい永く休み鉾でしたが、今回142年振りにご神面を収めた唐櫃で巡行に参加されます。
焼失を免れた懸装品などが会所で披露されていました。
2014年、鉾での巡行参加復活を目指しておられます。
画像右は「楫(かじ)」
刺繍裂 渡来赤羅紗地 降り龍と波濤の図(18世紀 日本製)
楫本体は木製で、刺繍はその本体を表裏二面と背側の細巾マチ布の三枚で構成。
17世紀中国の掛け物の意匠に倣ったもので、刺繍部分の金糸はZ撚り絹糸に金紙Z巻。
平坦部に使われている糸には金紙が疎に巻かれ、輪郭や強勢部には密に巻かれている。
画像左は神功皇后の「白地檜垣四ツ割菊葉附菊模様単狩衣」
祇園祭へのアクセス、生き方歩き方
梅田方面からは阪急電車大宮駅か烏丸駅で下車
JR京都駅からは、地下鉄で国際会館方面に乗車し、3分の四条駅で下車