生国魂神社で「生国魂祭」 70年ぶりの渡御列

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生国魂祭、大阪城までを巡行する神事「渡御行列」が今夏、約70年ぶりに本格的に復活。

「陸の生國魂、川の天神」。
生國魂神社の夏祭りは、大阪天満宮の天神祭と並び称された。

特に、豊臣秀吉から与えられたと伝わる「枕太鼓」を先頭に、獅子舞などが練り歩く渡御行列は、戦前には約2000人が参加するにぎやかさだったという。

神事は戦時中に途絶えたが、1990年に再開。
ただ、交通事情などを反映し、ご神体をトラックに載せて大阪城まで運ぶ形をとらざるを得なかった。

猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちび き”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土 に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。

上記神話により、道案内を司る道祖神として信仰されている。
古道には「猿田彦大神」と書かれた石碑が多く置かれているほか、祭礼での御輿・鳳輦の行列で先導を務めている。

いくたまさんの陸渡御でとりわけ目立つのが「白杖代」。
「はくじょうだい」と読みます。

これは渡御において神様の杖のかわり「御杖代(みつえしろ)」として使える童をさすそうです。

神様の代理人としての意味合いをもつ白杖代は天神祭の神童と同じぐらい重要な意味をもつものです。

昭和20年3月の大阪大空襲にて行列の中心である神輿の「御鳳輦(ごほうれん)」が消失して以来は簡略化された形式で執り行われてきましたが、今回は氏子らの寄進により「御鳳輦」が新調され、約500人が参加する盛大な渡御列の巡幸が行われます。

6人乗り移動式の枕太鼓。

願人と呼ばれる男衆が激しく太鼓を打ち鳴らす枕太鼓。

女の子も男衆に負けていません。

獅子舞

馬車の人もこの暑さではたまらないと思う、傘をさしての参加です。

大手門の前を進む猿田彦。

大阪城内にある生国魂神社のお旅所跡に到着した御鳳輦、この後3時から行宮祭が行われる。

大阪城内にある生国魂神社のお旅所跡は本願寺10世証如上人の『天文日記』(1436~54年)の記載から大坂(石山)本願寺に接して生国魂神社があったことが知られる。

『生国魂神社記』によれば、豊臣秀吉が大阪城築城の際、生国魂神社を現在地(天王寺区生玉町)に遷った時、旧跡に小社を残したともいわれ、後世まで大坂城内の中庭に生玉の神木と伝わる老松が1本立っていたとのことで、これが小社の名残であるとしている。

生国魂神社元お旅所 大阪城内、南外堀に面した西端に生国魂神社のお旅所跡と呼ばれる場所がある。

大阪城の追手門は生玉門とも呼ばれ、この場所は生国魂神社ゆかりの場所であったと思われる。

現地の案内板によればこのお旅所は1932年(昭和7年)新築され、夏祭りの渡御祭に用いられたとのことである。

行列のルート、度御列の編成は枕太鼓、獅子舞、騎乗の猿田彦、「生國魂祭」と大書された祭礼旗、「生國魂神社」社号旗、洋風馬車(馭者はシルクハットを被っている)、月旗(げっき)、日旗(にっき)、御榊(おんさかき)、八本鉾(はちほんほこ)、御翳(おんさしは)、御鳳輦、菅御翳(すがのおんさしは)、御鉾(おんほこ)、神馬、金神輿、銀神輿となっています。

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