般若寺 初夏のコスモスと紫陽花がきれいです

般若寺、本尊は文殊菩薩。
コスモス寺の名で知られる。

信頼できる史料における「般若寺」の初出は、天平14年(742年)10月3日付の「金光明寺写経所牒」(正倉院文書)であるとされている。

ただし、これについても、今の奈良県香芝市にあった片岡寺(別名般若寺)を指すとみる説もある。

その後平安時代末頃までの歴史はあまり明らかでない。
治承4年(1180年)、平重衡による南都焼き討ちの際には、東大寺、興福寺などとともに般若寺も焼け落ち、その後しばらくは廃寺同然となっていたようである。

廃寺同然となっていた般若寺は、鎌倉時代に入って再興が進められた。
寺のシンボルとも言える十三重石塔は僧・良恵(りょうえ)らによって建立され、建長5年(1253年)頃までに完成した。

この時期アジサイはいたるところで見られますが、仏像と重ね合わせることによりより風情が増します。

花言葉は威張り屋、無情、あなたは冷たい、移り気、浮気。

「紫陽花や 藪を小庭の 別座敷」 松尾芭蕉

「散りたまる 花や般若の 紙の向き」 向井去来

菩薩のやさしい顔とコスモス一輪。

「紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」 正岡子規

「紫陽花の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ見つつ偲ばむ」 橘諸兄 万葉集 (巻20 4448)

「あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る」 藤原定家

鐘楼の梵鐘は、正確な鋳造年代は不明ですが、江戸時代初期のものとみられ、西大寺の奥の院から伝来した梵鐘といわれています。

「般若寺の つり鐘ほそし 秋の風」 子規

「楼門」は門では数少ない国宝の一つという貴重な建物です。
旧京街道に面する西向きの建築となっている。

般若寺門前を南北に通る道は「京街道」は、大和(奈良県)と山城(京都府)を結ぶ、古代以来重要な道でありました。

会津八一歌碑

ならざか の いし の ほとけ の おとがひ に

こさめ ながるる はる は き に けり

歌集 『鹿鳴集』 の 「南京新唱」 にある歌で、詞書に 「奈良坂にて」 とある。

わかりにくい場所にあるので見落とさないよう。

「十三重石塔」は境内の中枢的な位置にあり高さも14.2mもある巨大な石塔で般若寺
のシンボルと言うべきものです。

コスモスに埋まって大きく聳え立っており一際目立ちます。

「ちちろ虫 十三塔を つつみ鳴く」一邑

創建当初の旧相輪は石塔の脇にありますがコスモス時期はコスモスに隠れていますのでご注意。

保元の乱では、平為義が夜討ちを進言しますが、頼長は「由緒ある朝廷の戦いで夜討ちなんて卑怯なマネはできない!」と却下。

そうしたら逆に、後白河側に夜討ちをかけられて負けてしまったのでした…。

兄に陥れられ、最後には一番の味方だと思ってた父に裏切られ…
ショックをうけた頼長さんは舌をかみきって亡くなったとも言われています。
享年37歳

遺体は奈良の般若寺に埋葬されますが、実検のため役人によって掘り起こされ、しばらく放置されてしまったという。

後に、京都の相国寺に埋葬され、今に残っている首塚が建てられます。

平家の南都焼き討ちで、東大寺、興福寺を火の海にした平重衡(たいらのしげひら)の供養塔。

重衡の兵火で、堂塔伽藍が全て焼き尽くされた。
しかも、平家物語によると、火を放ったのはこの般若寺だったようです。
(般若寺近くの民家だったという説もあります)

この笠塔婆は、宋人で伊行吉が父の一周忌に追善供養として建てたものであることが判明していますが、かつては重衡の供養塔として考えられていた時代があったようです。

その証拠に、能の古曲に「笠塔婆」という題材があって、その中で重衡の亡霊が登場するんですね。

「唐びとが 月をろがみし 笠塔婆」 秋桜子

石灯籠は、鎌倉時代に製作された花崗岩製の高さ3.14メートルの灯籠で、古くから「般若寺型」「文殊型」と呼称される有名な灯籠です。

竿と笠部分は後世の補修で造り直されたものですが、基台・中台・火袋・宝珠部分は製作当初のものです。

また火袋部には、「鳳凰」「獅子」「牡丹唐草」が浮き彫りされています。

般若寺と大塔宮との関係は、「太平記」によると、元弘の変の時、後醍醐天皇様と共に笠置寺に立て籠もり幕府勢を相手に戦われ、城が落ちた後、般若寺へ潜伏されたのですが敵の探索を受けた際、大般若経の唐櫃に潜まれて危難を遁れられ、無事熊野へ落ち行かれたと記されます。

「般若寺は 端ぢかき寺 仇の手を

のがれわびけむ 皇子しおもほゆ」 森鴎外

「般若櫃 うつろの秋の ふかさかな」 阿波野青畝

「大塔宮 在せし寺や 百日紅」 小牛

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南朝御聖蹟碑

同寺は、後醍醐天皇など南朝方とゆかりが深く、本尊の八字文殊菩薩像は同天皇の勅願。また笠置山落城後、大塔宮護良親王が同寺に潜伏し、大般若の唐櫃(からびつ)に潜んで難を逃れた、などの話が残されている…

不動明王が乗っていて健康増進の霊験があるという「かんまん石」

よく見れば石の上に不動明王。

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般若寺へのアクセス、行き方歩き方

住所:奈良県奈良市般若寺町 MAP
電話:0742-22-6287

近鉄奈良駅→奈良交通バス奈良阪・青山住宅行バス12分「般若寺」下車徒歩5分