JR山崎駅から数分、急坂を登った先に現れる金運のパワースポットとして有名な宝積寺。
宝積寺には「振れば出世、福徳、財徳を授けてくれる」と言われている福の神大黒天が所持している宝物、打出の小槌が祀られているのです。
明治時代には夏目漱石(なつめ そうせき1867-1916年) が宝積寺や隣の大山崎山荘を訪れ「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を残している。
漱石も何か願かけをしたのだろうか。
しかし、金運だけではありません。
奈良時代の初めに残された伝説に、第四十二代文武天皇の皇子の夢枕に竜神が現れ、打出と小槌を出して「これで左の手のひらを打てば果報が授かる」と言って天へ舞い上がった。
その翌朝、目を覚ますと枕元に打出と小槌が置かれており、半信半疑で左手のひらを打ったところ、なんと翌年に即位し第四十五代聖武天皇となったという伝説が残されているのです。
この事から、金運だけでなく、出世や福徳のご利益も授かれると言われているとのことです。
木造金剛力士(重要文化財)阿形の密迹金剛力士
吽形の那羅延金剛力士
秀吉が山崎の戦いの勝利記念に一晩で建立した三重塔、通称「一夜之塔」
参道沿いの三重塔は羽柴秀吉が山崎の合戦の際に一夜にして建てたといわれ、美しい桃山建築様式を今に伝える。
古式ゆかしい2月の「星供節分会」や、鏡餅に写った自分の姿を見て鬼が退散するという4月の「大厄除追儺式(鬼くすべ)」もみもの。
さらに参道を進むと本瓦葺の本堂がある。
宝積寺(ほうしゃくじ)は、京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派の仏教寺院。
山号は天王山または銭原山(古くは補陀洛山といった)、本尊は十一面観音である。
724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基と伝える。
本堂 桃山時代の建立。
向拝(こうはい)や妻(つま)飾(かざ)りなどに桃山風の見事な彫刻が施されている。
4月に行われる大厄除追儺式(鬼くすべ)は本堂の鴨居に75箇の鏡餅をかけて桧葉を焚き、蓬の矢・桃の弓で鬼を追います。
鬼は鏡餅に写る自分の顔の醜さに驚き恐れて退散するという行事で、厄除けや開運を祈願して行われる。
槌宮(こづちのみや)
「打出」と「小槌」を祀る。
「打出の小槌」でなく、打出と小槌は別のもの。
寺伝によれば、聖武天皇が皇太子のころ、夢で龍神様から「打出」と「小槌」をもらい、その後、天皇に即位されたという。「金運」を授かる祈祷は有名。
もともとは五層で建造されたが、いつしか九層になった聖武天皇の供養塔。
ピサの斜塔なみに曲がっているのに、阪神大震災でも倒れませんでした。
弁財天を祀る弁才天堂の前を通って・・・天王山へ向かいます。
天正10年(1582年)、天王山が羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の戦いの舞台となり、その際宝積寺には秀吉の本陣が置かれた。
直後秀吉により天王山に建設された「山崎城」にも取り込まれ、このため城は「宝寺城」とも呼ばれた。
元治元年(1864年)には禁門の変で尊皇攘夷派の真木和泉を始めとする十七烈士らの陣地がおかれた。
宝積寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:京都府大山崎町大山崎銭原1
境内参拝無料、閻魔堂拝観有料
お問い合わせ先:宝積寺Tel:075-956-0047
JR京都線 山崎駅 徒歩約10分
阪急京都線 大山崎駅 徒歩約15分