吉野奥千本は雨でした

奈良県

南東北の名城を掲載中ですが、吉野の記事を挟みます。

かつては高城山から金峯神社にかけても数多くの桜樹があり名所であったというが、現在は杉桧が繁っている。
おまけに小雨模様です。
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奥千本口まではバスを乗り継ぎ、ここから金峯神社へは、坂道を歩きます。

本日も 手に持たずにさせる折りたたみ傘 肩ブレラが大活躍です。

金峯神社(きんぷじんじゃ)は奥千本にある吉野山の地主神を祭る神社。
2004年には世界遺産に登録。

標高は約765mあり、吉野山で最も高い場所となっている。

本殿左側には義経の隠れ塔がある他、右側の小道を500m歩いて行くと
西行法師が住んでいたとされる西行庵もある。

神社の右を行くと西行庵に、左を行くと50mほどで薄暗い杉林の中の「義経の隠れ塔」に着く。

西行庵へは坂道を登ります。
この道は歩きやすいよう工夫されています、階段と石畳が選べます。

二股にある案内板には、左右どちらを通っても西行庵に行けるとある。
右側の道を選んだほうが距離が短いようだ。

左側を行けば奥駈道との分岐点に出る。
「従是女人結界」の碑と小さな石仏がある。

西行庵近くの桜、吉野山に桜が多いのは、桜が蔵王権現の神木であるとされたことによる。

西行が幽居した庵で、杉や桜の古木が覆う山間の地。
西行を慕って訪れた芭蕉の句碑なども近くにある。

西行堂はのちに建てられたもので、中には西行や頓阿の木像が安置されている。

西行庵のそばに「奥千本苔清水」と呼ばれている湧水があります。
岩間から流れ落ちている湧水。

苔清水の左側にある石の句碑が、「春雨のこしたにつたふ清水哉」と刻まれています。

意味は、木の下の苔むした岩の間を清水が伝わって、流れる様を歌にした句碑です。

四方正面堂跡。

振返ると桜がきれいだ、右手奥がいま辿った金峯神社、左手に西行庵があります。

安禅寺蔵王堂跡
この付近にあったと思われる、安禅寺宝塔は、報恩大師の建立で、千手観音ならびに二十八部衆を安置していたと伝えられ、吉野金峯山が寺院化したのはこのころと考えられています。

報恩大師修行の地
報恩大師は、三十才にして吉野山に入り観世音呪を持した。

天平勝宝四年(七五二)、孝謙天皇のご病気を加持した功により、報恩の名を賜ったという。
また桓武天皇が長岡宮で沈痾に伏せられた時、観自在根本呪を誦して治されたと伝えられる。

案内看板に「どこに宝塔院があったのか定かではありません」と書いてありました。
近くにある大峯奥駈道の靡(なびき)愛染の宿は現在では宝塔院跡とも呼ばれている。

この辺りからは大峰山系の峰々が美しい。

霧に霞みまるで水墨画の世界です。

正須行人・閼伽之井の傍で、お不動さまが睨みを利かせていました。

牛頭天王社跡 (ゴズテンノウシャアト)は、 吉野八社明神の一つです。
牛頭天王とは、釈迦の説法道場である祇園精舎の守護神であったと伝えられています。

明治初年まで付近に人家もあり、境内では盆踊りなども行われていたそうです。

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。

また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている。
宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたといわれている。

かつて、西行庵に納められていた西行法師の木像は、いま吉野水分神社に移されている。

豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。
現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたものである。

幣殿のみこし、楼門に置かれた湯釜も秀頼が寄進したもの。

秀頼が寄進した湯釜。

上千本から中千本にかけて、ものすごい九十九折の坂道をくだります。

きちんと舗装されて車も通れるきれいな道ですが、これを登るのはあまりにもキビシイ!
奥千本から下るルートを選んだのは正解だった。

その九十九折の一角にあるのが佐藤忠信と戦った吉野衆徒・横川覚範の供養塔(手前)と首塚(奥)。

ちなみに首塚と供養塔の間にある岩は「山伏匿岩(やまぶしかくれのいわ)」といい、追われる義経がこの岩陰に身を隠したそう。

壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした源義経でしたが、後白河法皇と兄の源頼朝の政治戦略の渦中の人となってしまい、兄である頼朝との対決という悲しい運命を歩むことになりました。

文治元年(1185年)12月、義経一行は雪が降り積もる吉野に身を隠します。

吉野山の僧兵ども。義経一行が逃走したことに気付き、大挙して追跡に出ます。
この時、しんがりを買って出たのが奥州出陣以来の郎党・佐藤忠信(さとう ただのぶ)でした。

忠信が追いすがる衆徒らに矢を放ったという吉野が見渡せる絶景スポット、その名も芳しい「花矢倉」展望台。

後醍醐天皇が吉野の行宮 (あんぐう)から五月雨の降り続くある日、大勢の供を連れて御幸の際、空模様がますます怪しくなったのでかたわらの観音堂に入ってしばらく休みながら歌を詠まれた。

ここはなほ
丹生の社に
ほど近し
祈らば晴れよ
五月雨の空

歌のおかげで見事に空が晴わたりうららかな日和になり、それからこの観音堂を雨師観音堂と呼ぶようになったそうだが明治の神仏分離によって廃されたそうだ。

売店の横には、無料休憩所「御幸の芝」があります。
ゴザを無料で貸して頂けるので、お花見にも便利な場所です。

吉水神社の境内から、満開時には一目千本といわれるほど美しいシロヤマ桜が全山で約3万本咲き誇っているのだがすでにこの辺りの桜は終わっています。

近鉄吉野駅まであと少し、七曲りの途中に残りの桜が、緑とのコントラストがよい。

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吉野奥千本へのアクセス、行き方歩き方

桜のシーズン中には奈良交通の臨時バスが吉野駅から中千本公園口まで運行される。
中千本、竹林院前からは吉野大峰ケーブル自動車が奥千本口までマイクロバスでピストン運転している。

下、中、上千本を見て歩く人に比べて、奥千本まで行く人は少ないですが、このバスに乗れば15分でたどり着きます。

行きはバスに乗って上り、帰りは歩いて下るのが定番コース。