奥州三関 白河の関

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白河の関(しらかわのせき)は、鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奥州三関の一つに数えられる関所である。
江戸時代東北は二つの国しかなかった陸奥国と出羽国、通称として「みちのく」とも呼ばれる。

地租改正が行われた明治初期までは、他の地方に比べて貨幣経済の浸透が遅れており、国内市場としての重要度も低かった。

奥州三古関のひとつに数えられる白河関は、奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、蝦夷(えみし)の南下や人、物資の往来を取り締まる機能を果たしていたと考えられています。

松平定信による古関蹟
定信は古絵図や古歌、老農の話などから関跡を白河市旗宿のとある小丘にもとめ、「古関蹟」碑を建てた。

定信の推定が全く正しかったことは、昭和三十四年から始まった同地の発掘調査によって証明されたのである。

白河神社 参道入口

治承4年(1180年・平安時代)は、源義経が兄・頼朝の挙兵を知り鎌倉に向かう道中に詣で、境内の松に矢を立て勝利を祈願したと伝わり、祈願をした「矢立の松」が、小さな根元のみの姿となって残っています。

白河神社

古歌碑
 便りあらばいかで都へつけやらむ
   今日白河の関はこえぬと
  平兼盛

 都をば霞とともに立ちしかど
   秋風ぞ吹く白河の関
     能因

 秋風に草木の露をはらわせて
   君がこゆれば関守もなし  
梶原景季

カタクリの花の時期は4月の中旬で、開花は1週間ほどです。

1960年代の発掘調査の結果、土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を検出、1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」(しらかわのせきあと)として国の史跡に指定された。

ここはカタクリの群生地です。

源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼす奥州合戦の際に、頼朝が白河に達した時に、梶原景季に歌を詠むよう命じると、「秋風に草木の露をば払わせて、君が越ゆれば関守も無し」と詠んだ。

関の廃止の後、その遺構は長く失われて、その具体的な位置も分からなくなっていた。
1800年(寛政12年)、白河藩主松平定信は文献による考証を行い、その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じた。

曾良日記によれば、芭蕉は、芦野で遊行柳を見た後、寄居を経て境の明神まで行き、そこから右へ折れて旗宿に向かっている。

旗宿には古来より有名な白河の関があり、芭蕉はここを訪れたが、どの辺が古関の跡かは確認できなかったようである。

白河関の森公園に、平成元年、「おくのほそ道」紀行300年を記念してに建てられた芭蕉と曽良の像があり、台座に、須賀川で詠んだ芭蕉の句と曽良の上の句が刻まれている。

風流の初やおくの田植うた 芭蕉

卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良

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白河の関へのアクセス、行き方歩き方

住所:福島県白河市旗宿
電話:0248-22-1147白河観光物産協会

JR白河駅→福島交通バス白河の関行きで30分、バス停:白河の関下車、徒歩すぐ

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