10月2日、初めてお茶を中国より日本に伝えた明庵栄西禅師と、宇治に茶園を開いた明恵上人、茶道の始祖千利休の三恩人への報恩感謝、かねては茶業功労者の遺績を追慕するとともに、宇治茶の隆盛を祈願するためのゆかしい行事がとりおこなわれた
この行事は毎年10月第1日曜日に行われる。
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宇治商工会議所(京都府)により、10月2日に興聖寺や宇治川周辺で、「第60回宇治茶まつり」が開催された。
60回目となった今年は、裏千家の千宗室(せんそうしつ)家元が献茶をするほか、茶券(3500円)の記念品として同寺の小堀泰巌管長が揮毫(きごう)した扇子の配布や茶種を飲んで当てる「お茶のみコンクール」なども行われた。
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橋の上でお祓い・お清めが行われた、縄をくくりつけた釣瓶(つるべ)を下ろします。
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昔、豊臣秀吉が宇治川の水を汲んで茶会を開いたことから、 宇治橋「三の間」からシュロ縄につるした釣瓶で清水を汲み上げます
3度ほど、繰り返します。
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宇治の橋姫伝説の記事でも取り上げましたが、こちらの宇治橋から、宇治茶まつりは始まります。
かつてこの三の間には、橋姫神社がありました。
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川が急流のために引き上げる時がものすごく重そうでした。
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竹筒に直接入れ替えるのではなく汲み上げた桶からそのまま台の上に用意している桶へ水を流します。
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宇治川より汲み上げた水を柄杓で竹筒に入れ替えます 名水汲み上げの儀が終わると、一行は、興聖寺に向かいます
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宇治川・三の間から汲み上げられた名水は宇治茶業青年団により興聖寺まで歩いて運ばれます
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名水汲み上げの儀が終わると、一行は、宇治公園から朝霧橋を通り興聖寺に向かいます。
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宇治橋から平等院の方へ向かい、宇治川にある二つの島、塔の島と橘島を経由して興聖寺へと移動する。
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宇治川畔に建つ山門脇には、「曹洞宗高祖道元初開之道場」の石標が立つ。
朝日山麓へ向かう参道、琴坂(ことさか)を上がると、興聖寺(こうしょうじ)がある。
号は仏徳山(ぶっとくさん)。
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道元禅師を開山とする、中国の禅宗様式をとり入れた曹洞宗の禅寺。
石門から中国風の楼門にいたる坂道は「琴坂」と呼ばれます。
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名水の一行が琴坂にさしかかりました。
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春は自生するヤマブキが咲き、紅葉する秋は紅葉のトンネルとなります 琴坂は「宇治十二景」の一つに挙げられています
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これが紅葉したらどんなに素晴らしいか、秋への期待が・・・・・
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道の両側を流れる川の瀬音が樹木をぬうようにして琴の音のように聞こえます。
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山門(楼門)、明朝の建築様式、竜宮造。漆喰塗で楼台の中央にアーチ型の通路が開けられている竜宮門となっている。
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「名水、到着でございます」という声の下、箱から恭しく取り出された竹筒。
この竹筒から、水指に、水が移されました
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お堂の中を見てみると・・・
茶葉が茶壺に入れられ、仏前に供えられています。
手前には茶壷口切りの儀式を行う介添人の姿も見られます。
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汲みあげられた名水の竹筒が献茶式会場に届き水指に、水が移されました。
以後、許可されたもの以外撮影禁止とのアナウンス、ナゼ!?
この後、汲み上げた三の間の名水を使ったお湯で点てられた茶は建仁寺管長の手により仏前に供えられ儀式全体が終わります
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本堂(法堂)、江戸時代、1648年移築。伏見桃山城遺構ともいう。
血染めの天井、鴬張りの縁がある。
には大勢の観客が。堂の内部を見れるわけでもないのにご苦労様。
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茶壷口切の儀が終了すると、興聖寺門前の茶筅塚で、使い古した茶筅の法要が行われます。
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朝霧通りから塔の島の十三重石塔が望めます。
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宇治、琴坂、東禅院、ここでは静かに紅葉が楽しめそうです。
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東禅院は宇治の興聖寺の東側に位置しています。
興聖寺に参拝後、参道を下っていくと、左にきれいな彼岸花が眼に入ってきました。
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コスモスがきれいです。向こうには宇治橋が望まれます。
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朝霧通りにある飲食店の庭、きれいに整えられています。
宇治茶まつりへの行き方・歩き方
京阪「宇治駅」下車、徒歩3分/JR「宇治駅」下車、徒歩7分。
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