紅葉の三井寺を訪問。
三井寺の桜の美しさは前回述べたが、この日紅葉も見頃を迎えていた。
琵琶湖疏水に沿って三井寺を目指す。
琵琶湖疏水に架かる鹿関橋(かぜきばし)から疏水トンネルを望む。
残念ながら桜の紅葉はピークを越えているが、疎水を脇の散り葉が美しい。
仁王門前の桜は葉を落とし、枯れ木となっている。
少しレンズを引くと紅葉が広がる。
金堂下あたりは紅葉も丁度見ごろで透かしモミジが美しい。
弁慶の鐘堂前は少し薄暗く、紅葉を透かして見る。
三重塔はやはり桜だ、もう葉を落とした枯れ木になってしまっている。
毘沙門堂の辺りは桜の名所。
毘沙門堂を下から見上げる。
観音堂への石段辺りは美しい紅葉のトンネル。
琵琶湖が一望出来る高台から観音堂を見下ろす。
普段はあまり訪れる人もないその奥まった所に、そろばんの玉をあしらった「大津そろばん記念碑」が建っている。
「そろばんと言えば大津、大津と言えばそろばん」と全国に名を馳せた大津そろばんは、旧東海道、逢坂の関か ら京都側に下った大谷、追分町付近を起源とする。
”これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬもあうさかのせき”
と詠まれた逢坂の関は、交通の要衝として今日まで栄えてきた。
曲がりくねった細長い山道沿いには民家が立ち並び、 大津絵や走井餅などのみやげ物を商う店や、縫い針、大津そろばんを扱う商店が軒を並べていた。
旅人や牛車の往来は絶えることがなく、街道一の賑わいを呈していた。
三百年の繁栄を誇った大津そろばんも、明治になって急速に衰退していく。
明治十二年に京都・大谷間に鉄道が敷かれ、逢坂山トンネルが開通すると、この街道筋は急速にさびれていく。
逢坂山をあえぎながら登り、茶屋で一服する旅人や、大津絵をみやげとして買い求める人が激減する。
そろばんを商う店、縫い針屋さんも同じ憂き目に会う。
また、鉄道敷設のため、そろばん業者が最も密集していた一里塚付近は、 強制的な立退きにあい壊滅的な打撃を受けることになる。
時は明治の初期、政府の産業奨励策にのり、機械化の波が押し寄せてきた。
この重要な時期に大津そろばん業者は、立退きの憂き目と、 設備の近代化の立ち遅れというダブルパンチに見舞われた。
二度、三度と転宅を強いられ機械化導入などの企業努力するゆとりさえ無かったというべきであろう。
さらにその後、国道一号線の整備、明治の末には京津電車(現在の京阪電車)の敷設工事などで、 大津そろばんは完全に消滅する。
水観寺への長い石段を下る。
ここの紅葉も美しい。
石段は桜の美しい場所だがすでに枯れ木、苔むした石段の奥の紅葉が美しい。
三井寺へのアクセス、行き方歩き方
京阪石山坂本線
三井寺駅より徒歩10分
別所駅より徒歩12分
・JR東海道本線(琵琶湖線)大津駅
→京阪バス三井寺下車すぐ
・JR湖西線大津京駅
→京阪バス三井寺下車すぐ