弘法大師空海が唐から帰国して初めて護摩を焚いた 最教寺

当寺がある場所は日本に真言宗を伝えた弘法大師空海が唐から帰国して初めて護摩を焚いた所と言われ、真言宗に帰依していた鎮信はこの地に寺院の建立を思い立った。

しかし、当時この場所には曹洞宗の勝音院という寺院があり、鎮信は移転を要望したが住職の竜呑はこれを拒否し、最終的に鎮信は勝音院を住職諸共焼き払ってその跡地に最教寺を復興したという。

切妻造の山門を入った正面が入母屋造の本堂で、安永三年(1774)の建築である。

先ず奥ノ院を目指した。
奥の院に通じる 参道には苔むした石仏がならぶ真言宗の霊場で、2月の節分の日に行われる「子泣き相撲」で有名です。

この「子泣き相撲」は江戸時代、平戸藩主を悩ませていた亡霊を赤ん坊の泣き声が退散させたことが起源とされています。

奥ノ院の段下に松浦鎮信(まつら しげのぶ) 1549~1614の墓がある。

隆信の長男で平戸松浦氏第26代当主、平戸藩初代藩主。
従四位下肥前守、宗信のち無外庵宗静と号し、平戸法印と呼ばれた。

一時龍造寺氏に属したが隆信の戦死後に独立、豊臣秀吉の九州平定に従軍し豊臣政権下の大名となる。

平戸にオランダ・イギリスの商館を開設して貿易に尽力する一方、父隆信とは逆に領内のキリシタンを排除した。

本堂への参道は楠が並ぶすばらしい石段が続く。

本堂。
最教寺(さいきょうじ)は、長崎県平戸市にある真言宗智山派の仏教寺院。山号は高野山(こうやさん)。本尊は虚空蔵菩薩像。

「西の高野山」とも称される。

現在の寺は1607年(慶長12年)、平戸藩初代藩主の松浦鎮信により建立された。

地下は、胎蔵界巡りになっていて、暗闇の中を壁を触りながらすすみます。
かすかな御仏の光によって衆生救済の可能性を示すという不思議な体験でした。

本尊は虚空蔵菩薩像。

平戸ではあらゆるところから平戸城が望めるが、ここ最教寺の境内からも見える。

平戸の景色の中でも一際目立つ朱塗りの三重塔は1989年(平成元年)建立で、三重塔としては日本でも最大級のものである。

釈迦涅槃像。

霊宝館。

愛染堂。

平戸城天守からは朱塗りの三重の塔がよく見える。

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最教寺へのアクセス、行き方歩き方
〒859-5102 平戸市岩の上町1206番地1
0950-22-2469(霊宝館は0950-22-2669)

JR佐世保駅から徒歩2分の佐世保バスセンター→西肥バス平戸桟橋行きで1時間23分、バス停:平戸新町下車、徒歩5分

平戸大橋より車6分、平戸港交流広場より徒歩17分