京都太秦ユダヤのパワースポット?大酒神社

大酒神社は現在は立ち止まる人もいない様な小さな神社ですが、歴史ファンには古代秦氏族の祖神として注目されている場所です。

大酒神社の石の鳥居ですが木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居と同じで柱が八角形です。
何の知識がなくても繋がりがあるとわかります。
もともとは大辟神社と書いたらしい。

「大裂」の文字も使われてたらしい。
横を見ると石柱に
「蠶養機織管弦楽舞之祖神」と「太秦明神 呉織神 漢織神」蠶養…養蚕・機織…機織り管弦…管弦楽・楽舞…音楽と舞の祖とはスゴい。

御祭神は秦始皇帝・弓月王・秦酒公の3柱で構成されている。
大酒神社は渡来人秦氏の氏神を祭っていると言われていますが、「秦始皇帝」には誰もが違和感を抱くでしょう。

大酒神社は秦氏の氏神を祭っていると一般的には言われています。
渡来人秦氏が中国を統一した秦始皇帝を祭る理由は彼らが「自らの出自を秦の始皇帝の末裔」と主張していたことによるようです。

本殿です
ご祭神 秦始皇帝(シンノシコウテイ)
     弓月王(ユンズノキミ〔一般にはユヅキノキミ〕)
    秦酒公(ハタノサケノキミ)
神 紋 賀茂葵

さて、大酒神社は、その後広隆寺が建立されると、広隆寺内の桂宮院(けいくういん)(国宝・特別拝観あり)境内に鎮守社として祀られ、治暦四年(1068)に神階は正一位となります。
その後、明治初年の神仏分離によって、神社は現在地に移されました。また京都三大奇祭の一つ」(後二つは、鞍馬火祭り・やすらい祭り)の「広隆寺の牛祭」は、以前広隆寺にあった大酒神社の祭礼と言うことです。

京都の太秦の「広隆寺」と「かいこの社」の「木島神社」に連なって「大酒神社」というのがあるではないか! 
しかも意図的に連ねて建立されている。
現在は位置がズレて点と線が外れているが、昔は元々一つの線上に建てられていた。昔は「大酒」ではなく「大闢」と書かれていたらしい。

さらには「大避」と書かれていたとも言う。
この内の「大闢」とは、ダイビャクとも読み、ダビデを示しているのではないか?
という話しもある。
この漢字は中国語で読むと‘ダビ’となるらしい。
この事からイスラエルのユダヤの王であるダビデの事が問われている。

安永九(1780)年に刊行された「都名所図会」に掲載されていたもの>
この図を見る限り、上宮王院の真西にあったものと思われる。

「ヤコブの井戸」。
大避神社と、「いさら井」は元々は広隆寺の境内にあったのですが、大避神社は明治の神仏分離令により広隆寺から東に約100mの地に移設され、いさら井は広隆寺の境内の縮小により現在は境内から少し離れた民家のそばにあります。

イスラエルは、イスラエル民族の父祖の一人であるヤコブの別名であり、つまり、「いさら井」は「ヤコブの井戸」。
この「ヤコブの井戸」は、イエスがサマリア人の女性から水をもらった井戸でもあります(ヨハネの福音書4章6節)。
しかし古代社会でテクノクラートとして大活躍した彼らは聖徳太子の死後、忽然と政界から姿を消す。

政界中枢から忽然と姿を消した秦一族は消滅したのだろうか。
そんなことはない。
ある者は芸能という呪術を制して呪術界の頂点に向かい、ある者は・・・・一説には平安時代に栄華を極めた藤原氏になったという説もある。
魔界を知り尽くしていた秦一族は、古代から平安時代への変わり目にいったん闇の世界へ潜み、再び機を得て復活するのである。

一説によると河勝は山背を去って赤穂の坂越に向かい、その地で没したという。
赤穂に向かった理由は蘇我入鹿の迫害を避ける為ともいわれている。
大避神社(おおさけじんじゃ)は兵庫県赤穂市坂越(さこし)にある神社。
由緒書きには、「秦河勝は皇極3年(644)に、太子亡きあとの蘇我入鹿の迫害をさけ、海路によって坂越浦に到着。

千種側流域の開拓を推め、大化3年(647)に八十余歳で薨じた。
河勝の御霊は神仙と化し、村人が朝廷に願い出て祠を築き祀ったのが、大避神社の創建と伝えられている」とあり、江戸中期の古書・播磨鏡(1762)には、「秦河勝がこの地で没したので、河勝の霊と秦氏の祖・酒公を祀り、社名を“大荒”・“大酒”と称したが、治歴4年(1068)に“大避”に改めた」という。

クラブツーリズムのお勧めツアーはこちら!

今後の研究が待たれる。

大酒神社へのアクセス、行き方歩き方

住所:京都市右京区太秦蜂岡町30
京福電気鉄道嵐山本線「太秦広隆寺」駅より徒歩約3分

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">