隨心院が所在する小野は小野氏の一族が栄えたところである。
宮中で仁明天皇に仕え歌人として知られる小野小町もこの地の出で宮中を退いて後も過ごしたとされる。
隨心院には小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像を始め文塚、化粧の井戸などいくつかの遺跡が残る。
真言宗善通寺派の大本山であり、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正歴二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されました。
古くは牛皮山曼荼羅寺と称されました
総門は宝暦3年(1753)、二条家より移築。
小野梅園 – 境内には約230本の梅の木がある。山紅梅、白梅、薄紅梅などがあり2月末から咲き始め3月中旬が見頃となる。
もっとも多い薄紅梅の色である薄紅梅色を「はねずいろ」ということから「はねずの梅」とも呼ばれている。
隨心院 庫裡
正暦2年(991)建立。
古くは牛革山曼荼羅寺といわれたそうですが、
寛喜元年(1229)、後堀河天皇より門跡の宣旨があり、随心院門跡といわれています。
庫裡は宝暦3年(1753)、二条家の政所であったものを移築。
小野小町歌碑
花のいろは うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに
随心院には、「蓮弁祈願」なるものがあります。入り口のところで販売している蓮弁に願いを書いて、それを蓮弁祈願のツボの中の水に浮かべると願いが叶うという寸法です。
隋心院門跡:大玄関、小町の絵が展示されている。
「言霊作りの巨匠」小町は生没年不詳である。
記録からは「六歌仙」の一人在原業平(825~880年)と同年代を生きた、平安時代初期の女流歌人だと推測されている。
小町がどんな女性であったのかも定かでない。
小野篁の孫、小野後宮に仕える出羽国司の娘、仁明天皇の更衣(こうい)(妃の一人)ともいわれ、巫女説まである。
「古今和歌集」仮名序で、撰者の一人紀貫之は小町をこのように表現している。
「小野小町は古の衣通姫の流なり。
あはれなるようにて、つよからず。
いはば、よきをうなの、なやめるところあるににたり。
つよからぬは、をうなの歌なればなるべし」
「古事記」に登場する絶世の美女・衣通姫は美しさが衣を通して輝くほどの容姿と謳われたが、兄との激しい恋の末に心中する悲劇のヒロインである。
小町が衣通姫にたとえられた背景に「篁物語」にある小町の祖父小野篁の彼の妹との悲恋話が感じられる
薬医門を内側から
本堂・書院前の庭園は、苔が美しいことで知られ、随心院は「洛巽の苔寺」とも呼ばれます。
また奥書院にも四季の花が美しい庭があります。
またこの寺院は石楠花(しゃくなげ)や紅葉の美しさでも知られます
書院に向かう廊下。
残念ながら書院の中は撮影禁止でした。
隋心院門跡:左表書院、奥正面が本堂。
小町が、深草少将が通った日数を数えるために糸を通した跡のあるというカヤの実
深草少将は、積もる思いを胸に小町を訪ねます。
しかし、小町は深草少将に冷たく、「百夜通い続けることができたら、あなたの意のままになります」と告げて追い返しました。
深草少将は、小町の言葉を信じ、毎夜、彼女のもとに通い続け、そのたびに門前の榧(かや)の木の実を証拠として出しました。
小町のもとに通い続けること99夜目。
その夜は、雪が降って大変寒く、少将は、99個目の榧の実を手に握りしめたまま亡くなりました。
小野小町と深草少将のことをいろいろと書いてきましたが、実は、深草少将は架空の人物です。
ただ、そのモデルと伝えられている人物はいます。
それは、深草の帝と呼ばれた仁明天皇(にんみょうてんのう)です。
小野小町
九重の 花の都に 住みはせて はかなや我は 三重にかくるる
この辞世の句を残して世を去った。
もう一つの小町伝説
湯沢市の小町まつりは、古くから芍薬塚(小町塚)で行われます。開催日は、芍薬の花香る六月第二日曜日。
随心院 薬医門
寛永年間(1624~31)の建築で、九条家ゆかりの天真院尼の寄進によるもの。
小町の屋敷跡に残る化粧の井戸で、小町は朝夕この水で化粧をしたと伝える
小町庭苑 – 竹林の中に文塚、小町榧、仁海供養塔、清瀧権現が点在する。
外塀を東に廻り込むと、趣のある土壁となる。斜め対面に文塚。
小町文塚、祈願すれば恋が叶うとか…
深草少将ほか当寺の貴公子たちから寄せられた千束の文を埋めたところ。
仁海僧正供養塔
随心院の歴史を遡れば牛尾山曼陀羅寺と号し、正歴二年(991)に仁海僧正が創建したと伝わります。
仁海僧正は夢の中に亡き母が牛となって鳥羽の地にいることを知り、その牛の世話をし孝行を尽くします。
その亡き後、牛皮をもって両界曼陀羅に仕上げ本尊としたと云います。
牛尾山の号は仁海僧正が牛の尾を山上に埋めて、菩堤を弔った為と伝えられています。
また、仁海僧正は神泉苑において請雨の法を幾たびもおこない、恵みの降雨をもたらした雨僧正としても知られます。
後ろにあるのが榧(かや)の木
門を出てすぐの天田川にかかる橋は、化粧の井戸から流れる化粧水にちなんで化粧橋といわれています。
深草少将が「百夜通(ももよがよい)」した道も残ります。
ご利益
ラブレター上達、恋愛成就、縁結び
隨心院への行き方・歩き方
・住所:〒607-8257 京都市山科区小野御霊町35
・電話:TEL 075-571-0025
・拝観:9:00~16:30:本坊・庭園 400円、石楠花(4月中旬が見頃)
・梅園:400円(2月末~四月初)
・市バス東9で小野下車又は、地下鉄東西線小野駅下車、徒歩約3分