秋真っ盛り 四天王寺本坊庭園


「釈迦の滝」

昨年は6月に訪問、今日はクラブの人を連れての訪問。

四天王寺の喧騒とは打って変わって静かな本坊庭園。

長らく特定日のみの公開であったが、平成15年(2003年)8月より通年の公開が行われるようになった。

「極楽の池」の畔に建つルネッサンス様式の西洋建築「八角亭」は第五回内国勧業博覧会(明治36年・1903年開催)で出品された現存唯一のパビリオンで、後年移建されたもの。

小奏楽堂というからには中で何かの演奏が行われたのでしょうか。
中には入ることができない。

大池には阿弥陀三尊石が組まれている。

阿弥陀如来を中尊とした三尊石は迫力あるものである。
江戸時代以降は丸みを帯びた石が使われることが多く、こちらの庭園が江戸初期に造園されたこととも一致する。

自然のわき水を利用した2つの小川「水の河」と「火の河」および2つの池「瑠璃光の池」と「極楽の池」を配し白砂の廻遊路を「白道」という広さ1万m2の池泉廻遊式庭園である「極楽浄土の庭」と、幾度の戦災を免れて現在に至る湯屋方丈(江戸時代初期建立、国の重要文化財)、そしてその前庭である座視式庭園「補陀落の庭」からなる。

造園の着工は江戸時代初頭とされ、現在の庭は明治時代初期に、火災による焼失から復興されたものである。このときに「二河白道」の喩話に基づいた作庭がなされた。


四天王寺 極楽浄土の庭の由来

四天王寺は日本書紀によれば、推古天皇(飛鳥時代)に創設。飛鳥寺(奈良県明日香村)と並び、本格的な仏教寺院としては日本最古である。

極楽浄土の庭は江戸初期とされ、現在の庭は明治初期に火災による焼失から復興されたものである。

極楽浄土の庭は、中国の説話「二河白道(にがびゃくどう)」に基づく。

二河白道とは浄土教における極楽往生を願う信心で、「二河」とは「火の河:怒り」と「水の河:欲の深さ」を表し、その間にある「白道」を進めば、極楽浄土に達し往生できるというもの。

紅葉がきれいです、超広角レンズでいたずらして見た。

ここで望遠ズームに取り換え、これが通常の画像です。

サキシマフヨウの実

和名は先島諸島に由来し、主に鹿児島県西部の島から琉球にかけて分布するとされてきた。
2014年の研究では台湾にも分布することが報告されている。

池に浮かぶ落ち葉

陽を透かしてハイキーで。

元和9(1623)年、徳川秀忠による再建

前には、補陀落の庭が広がる

方丈前庭にある「補陀落の庭(ふだらくのにわ)」。

三尊石の阿弥陀如来の左脇侍は観音菩薩であり、その観音菩薩が住む霊場の伝説上の山が「補陀落」である。

本坊、ガラスに移り込んだ庭園の紅葉がきれいです。






冠木門は通りれぬけできない。

その向こうには、先程とはちょうど反対側から見る唐門が見える。
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