日本三景 松島

東北

今回は仙台を中心に東北の五名城を巡ります。
まず、最初に訪れたのは松島。

仙台空港が近づくと窓からは湯西川ダムが見える。

こちらは蔵王が見えているのかな。

芭蕉もやって来た日本三景の一つ松島。

松尾芭蕉は、松島を始めとして仙台藩の城や要害、関所などの主要軍事施設を回っていることから、隠密説がある。

また俗説で「松島やああ松島や松島や」という句が「芭蕉の作」とされていますが、これは後世作られたもの。芭蕉とはいっさい関係ありません!

日本三景は全て海(沿岸)にある風景となっており、各々古くから詩歌に詠まれ、絵画に描かれていた。

1.松島 … 宮城県宮城郡松島町を中心とした多島海
2.天橋立 … 京都府宮津市にある砂嘴
3.厳島(宮島) … 広島県廿日市市にある厳島神社を中心とした島

江戸時代前期の1643年(寛永20年)に、儒学者・林春斎がその著書『日本国事跡考』において、「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳興、丹後天橋立、安芸厳島為三処奇観」と書き記した。

これを端緒に「日本三景」という括りが始まったとされる。

日本三景を雪月花にあてる場合、「雪」は天橋立、「月」は松島、「花」は紅葉を花に見立てて宮島をあてている。

松島は260余の島々に守られ奇跡的に被害は少なかったと言われているが、震度6弱の地震と最大3m80㎝の津波(16時40分第2波)に襲われた。

五大堂と向こうに見えるのは福浦島。

福浦島は松島海岸の東に浮かぶ、面積6ヘクタールほどの島。
全長252mの朱塗りの橋で陸と繋がれている。

県立自然植物公園となっている島内には、アカマツ、スギ、モミなどの大木をはじめ数多くの樹木や草花が自生し、植物の宝庫となっている。

島を代表する建造物である「五大堂」は、大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の折り、毘沙門堂を建立し、後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。

現在の建物は、伊達政宗公が桃山様式の粋を尽くして再建したもので、瑞巌寺に先だって建立された。
桃山建築としては、東北地方最古の建物。

五大堂縁起を記した説明。

すかし橋 – 五大堂が建立された小島に架けられた橋。
橋げたの隙間から海が見え、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために造られたと言われている

松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来たリアス式海岸がさらに進んだ沈降地形で、溺れ谷に海水が入り込み山頂が島として残った多島海である。

全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10メートル以内である。

これは、この一帯が過去から大きな地震のたびに地盤が少しずつ沈下してできた地形であることを物語っている。

この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩など侵食に非常に脆い岩質で出来ており、特に波に洗われる部分は容易に侵食される。

そのため多くの小島は上部に松などが植生し、海面に近い基部は白から灰白色の岩肌を見せている。

松島には大小の遊覧船が就航しており、船上より島々を眺めることができる。
船上からカモメ(主にウミネコ)に餌やりをするのが名物になっている。

2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)とその直後に襲来した大津波によって、島の文化財の一部が破損するなどの被害が発生したが、周辺の自治体と比較して被害は軽微で済んでいる。

その理由として、津波は浅い海に入ると速度が落ちて急激にエネルギーを失うのと、松島湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたと見られている。

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松島へのアクセス、行き方歩き方

仙台空港・仙台駅から松島までのアクセス
仙台空港より鉄道かリムジンバスを利用し仙台駅に。

仙台駅からは仙石線にご乗車し松島海岸駅下車。
なお仙台駅から東北本線にご乗車の場合松島駅下車となります。
松島観光地まで徒歩約20分。