沖縄には、御嶽(ウタキ)拝所(ウガンジュ)とか呼ばれている神聖な場所がいたる所にありますが、 その中でも、一番格式の高い斎場御嶽(せーふぁーうたき)。
沖縄の始祖と言われるアマミキヨが造った七御嶽のひとつと言われ、域内には六つの神域があり、琉球王国当時は大事な祭事に神ノ島といわれる久高島から白砂を持ち込み、御嶽全体に敷き詰めたといわれています。
斎場御嶽(せーふぁーうたき)とは
「せ」→霊力(せじ)、スピリチュアル
「ふぁ」→場所
「うたき」→聖地
「霊位の高い聖なる場所」
アマミキヨは琉球民族の祖霊神と言われている。
琉球の神話では、日の大神(天にある最高神)は琉球を神の住むべき霊所であると認め、創世神・アマミキヨに命じて島づくり国づくりを命じる。
天上より琉球の地に降りたアマミキヨは、この命を受け、沖縄本島をつくったとされる。
現在では、アマミキヨによってつくられた聖地のうち7つが琉球開闢(かいびゃく)七御嶽として語り継がれ、琉球の信仰において最も神聖な御嶽として位置づけられている。
御門口(うじょーぐち)へ向かう階段、右方向はウローカという所に向かう右に折れる道がありますが、現在通行止めになっていて、そこに行くには順路ではなく国道331号線から改めて30mほど登るようになっています。
ウローカは斎場御嶽に入域する前に禊をしたところといわれています。
御門口(うじょーぐち)
上り坂ではありますがコースに沿って亜熱帯の木々が鬱蒼と茂る間を歩いていくと、 すぐ何段かの階段があり、その手前右側に六つの香炉がまとまって置かれています。
文字通り王国最高の御嶽とされ、国家の最高神職である聞得大君が管理した。
聞得大君の就任儀式「御新下り(おあらおり)」が行われた御嶽でもある。
かつて琉球の御嶽はその全てが男子禁制であり、斎場御嶽では庶民は入口の御門口(うじょーぐち)を越えて進入することは許されず、国王であっても、御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったという。
亜熱帯の木々が鬱蒼と繁る石畳道を進む。
1945年沖縄戦において、「鉄の暴風」と形容されるほどの砲弾が撃ち込まれ、終戦直後は沖縄本島内至るところに艦砲穴といわれる砲弾でできた穴が残っていたが、大半の艦砲穴は埋められるなどして残っていない。
そのため沖縄戦の様子を伝える戦争遺跡として保存している。
大庫理(うふぐーい)は首里城正殿の二階にもある名称ですが、その名前をつけた拝所のひとつがこの大庫理(うふぐーい)です。
御門口から上がってゆくと左手に出てくる最初の拝所です。
大庫理の名前には大広間とか一番座という意味があるそうで、その通り斎場御嶽においては最も広い空間を持っています。
第二尚氏尚円王の時代からつづいた聞得大君(キコエノオオキミ・琉球王朝最高の神職)の就任式(お新下り)もここで行われていました。
その時には南に浮かぶ神聖な島・久高島からわざわざ白砂を取り寄せて敷き詰めたそうです。
聞得大君とは「最も名高い神女」という意味で、琉球の信仰における神女の最高位の名称。
聞得大君は、琉球王国の最高位の権力者である国王と王国全土を霊的に守護するものとされた。
そのため、国王の姉妹などおもに王族の女性が任命されている。
琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立つ存在であり、琉球最高の御嶽である斎場御嶽を掌管した。
初代(1470年)から15代(1875年)までの約400年余りにわたって、琉球王府の神事を担った。
寄満(ゆいんち)は大庫理の岩の反対側に位置し、参道を森林の中を通ると着きます。
寄満は首里城では国王のための食事を作る厨房、すなわち琉球王朝では台所という意味を持つ言葉ですが、中国を通じて貿易の盛んだった当時の王朝では、国内外から海の幸や山の幸、世界中から交易によって品々が集まったところから、豊穣に満ちたところという解釈がなされているようです。
実際には寄満で食事が作られていたわけではないですが。
またここには沖縄戦以前までは吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)が置かれていたそうです。
寄満(ゆいんち)の上にはマングローブの木が繁り、多くの根を垂らす。
サングーイ・三庫理
ユンイチから元きた道を引き返して三叉路を左に入ると少し広くなった場所に出ます。
右手には大きな垂直に切り立った岩があり、その下の部分は侵食されたように凹んでいて、その窪みの上部には垂れ下がった鍾乳石らしきものがあり、水が一滴一滴間をおいて落下し、その下には二つの壺がそれを受けるように前後に並んでいます。
奥がシキヨダユルアマガヌビー、手前がアマダユルアシカヌビーと呼ばれ、そこに溜まる水は世継ぎの琉球国王子、聞得大君の吉兆を占うとともに、お正月の若水取りの儀式にも使われたという霊水として大切にされたそうで、いまでも触ることのないようにとの注意書きが横におかれていました。
その隣には貴婦人様お休み処という平らな場所があり、ここにも神様が祀られているようで、拝みの人達も見かけます。
三庫理からは王国開闢にまつわる最高聖地とされている久高島を遥拝することができるが、これについては史書には記述がない。
これは、近世になって三庫理の岩壁の一角が崩れたことによるもので、かつての三庫理は三方を岩壁に囲まれた空間だった。
敷地内には首里城内の施設名と同じ拝所が複数ある。
3つの拝所が集中する最奥部の三庫理(さんぐーい)には「チョウノハナ(京のはな)」という最も格の高い拝所があり、クバの木を伝って琉球の創世神であるアマミクが降臨するとされる。
最高聖地とされている久高島が見える。
遥か昔、大海原の彼方・二ライカナイから南の島のある浜辺に神が降り立った。
神の名はアマミキヨといい、グスクを構え、子供をつくり、稲を植え、そして人々の世を創った。
いつしか人々から祖霊神と呼ばれるようになり、御嶽に祀られ、国家安泰や五穀豊穣の祈りの対象となった。
斎場御嶽へのアクセス、行き方歩き方
住所:南城市知念字久手堅サヤハ原
電話:098-949-1899
路線バス : 斎場御嶽バス停から 徒歩で約 10分
沖縄自動車道 : 南風原南ICから 車(一般道)で約 40分