知覧武家屋敷群


知覧は「薩摩の小京都」とも呼ばれている。
徳川幕府時代、薩摩藩(島津77万石)は領地を外城と呼ばれる113の地区に分け、地頭や領主の屋敷である御仮屋を中心に「麓」と呼ばれる武家集落を作り、鹿児島に武士団を集結させることなく分散して統治にあたらせた。

知覧もその外城の一つであり、薩摩藩の中でも重要な役目を果たした第十六代佐多久達の時代に島津姓の使用と私領地化が許され、城塁型の区画が形成された。

現在に残る武家屋敷群は、第十八代知覧領主・島津久峰の時代につくられたもので、折れ曲がった本馬場通りに沿って連なる石垣と大刈り込みの生垣に当時の面影が残る。

1981年(昭和56年)11月に、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けている。

知覧型二ツ家民家

南九州の民家は,現在でも南西諸島で見られるように,オモテ・ナカエ・ウマヤ・便所・風呂場が独立した分棟型が基本でした。

オモテとナカエを連結させた建物として,棟と棟をつなぐ小棟の形状がが知覧独特であることから,知覧型二ツ家と呼ばれています。

平山克己氏 庭園

明和年間(1764~1771)の作庭と伝えられています。
主屋の北側にあり北東隅に枯滝を組み、石組みは西に連なっています。

背後に築山風の大刈込み、外側に生垣がめぐり東北部は高さ4mに達します。

母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景園。北側の隅には石組みを設けて主峯とし、イヌマキの生垣は母ヶ岳の分脈をかたどっています。

また、どこを切り取っても一つの庭園を形づくり、調和と表現にすぐれた庭園として絶賛されています。

大海原には無人島が浮かび、遠くには緑の大陸が望まれ、想像とロマンの世界で楽しめる庭園です。

西郷恵一郎氏邸庭園

庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峯とし、この峯から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現しているのだそうです。

また「鶴亀の庭園」とも言われるこの庭園は、一変して高い石組は鶴となり、亀は大海にそそぐ谷川の水辺に遊ぶように配され、うまく石とサツキが組み合わされております。

佐多民子氏 庭園

寛保・寛延・宝暦(1741~1763)頃の作庭といわれ、知覧庭園群の中でも石組み及び庭園の地割構成が最も技術的にも感覚的にも力強い庭園です。

主屋の北側にあり、北西隅に高く石組みし三層石塔を置き、カエデ、マツ、イヌマキなどを植栽し、中央部から東部にかけて巨石を配しています。

巨岩奇岩を積み重ねて深山幽谷の景を写しだし、小船に乗って石橋の下を潜っていくと、仙人が岩の上から手招きしているようです。

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