福井に継体天皇を訪ねる


越前市花筐公園に立つ岡太神社。

迹王の餅神事

毎年九月十三日(現 十月十三日) 未明に行われる神事で、数十の大半桶に盛った餅を積んで献る。 
これは、男大迹皇子が潜龍時代に、郷民を愛育撫恤し給うたというその厚徳に酬い奉らんとして餅をついて皇子に奉ったところ皇子もまた、餅をついて郷民を賑わい給うたという故事によるものという。

さて、村内に男児が出生すれば、迹王の子と称して迹王宮の名簿に記載する。 
成人になると、筆頭のものから三十二人(迹王方十六人・宮方十六人に分かれる)が選ばれ、迹王若者と称して、当年の迹王の餅を献る当役となる。 

当日捧げられた餅は迹王の子たる者に頒たれる。

境内に建つ
「継体天皇潜龍之聖迹」碑

岡太神社 拝殿。

社伝によると、当社の勧請は、男大迹皇子(継体天皇)が御潜龍の折、当地の水害を煩慮なされて水路をお穿ちになり、九頭竜・足羽・日野の三川を開かれた。

このとき、建角身命・国挟槌尊・大己貴命の三柱をこの地に奉祀されて、岡太神社と号して祈誓し賜うたという。

即ち、延喜式神名帳に記載の今立郡十四社の一にして所謂式内の社である。

「継体天皇は、応神天皇の五世の孫にあたる人の、その子である」という意味の記述になっているが、婿の系譜がたとえ事実であったとしても、これほど遠い血縁の人を天皇として迎えざるを得なかったというのは、よほど異常の事態がが委員として存在していたのに違いない・・・・

街道をゆく4 北國街道とその脇街道

日本書紀に、継体天皇という不思議な存在が出てくる・・・・・

街道をゆく18 越前の諸道


皇子が池

大迹の王と(継体天皇)目子姫の子、勾大兄の王子(27代安閑天皇)・日隈の高田王子(28代宣化天皇)ご誕生の折、この池の水を産湯に使ったと伝わっている。

現在、池は正6角形で大きさは27㎡、池は大きな石でふさがれているため水の有無は確認できていない。

この六角形の部分の土地だけ国が所有している。

謡曲 花筐

室町時代の世阿弥が作った謡曲「花筐」 には二人の美しいロマンスが語られている。

越前の国 味真野におられた男大迹皇子はにわかに皇位につくことになり寵愛する照日の前に花筐と玉章を贈って上京し継体天皇となられた。

残された彼女は皇子恋しさのあまり花かごと御手紙を持って大和の玉穂の都へと上り紅葉狩りの行幸に遇う。

そこで花筐が縁で再び天皇の愛を回復したという。

世阿弥には巷間に取材した曲があるがこの「花筐」も当時味真野に伝えられていた継体天皇伝説をもとに創作されたものであろう。

JR武生駅にある継体、照日の像。

継体天皇石像  福井市足羽山公園

「 継体天皇は御名を男大迹皇子と称し、御即位に至るまで数十年間当国越前に潜龍ましましたが、その間越前平野の治水を講じ、笏谷山の石材採掘を勧めるなど、民治に深く意を用いられたので、国人長くその御事績を景仰している。

この石像は天皇の遺徳を追慕し、明治十六年福井地方の石匠島田宮崎谷屋藤間林内等相謀り之を建立したもので、石材は天皇に所縁のある笏谷石を用い、石像の向は之亦天皇が治水に際して水門を開かれしと伝えられる北北西の三国港を遙かに望んでいる。

爾来この山頂に存立して常に市民に親しみ敬われて来たが、昭和二十三年の大震災によって倒壊したの修復再建したのである。
     昭和二十七年十一月  福井市  」

足羽山から福井市街を望む。

本来であれば足羽川堤は桜が満開であったであろう、今年は異常気象のせいですでに散ってしまっている。

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前府中城は、越前国南仲条郡(後の南条郡、現在の福井県越前市)にあった城。別名は越府城(えつふじょう)。

関ヶ原の戦い後に越前国が結城秀康に与えられると、その重臣である本多富正が越前府中城に入って改築した。

2層の天守閣があったものの、家臣の居館であったことから、「御館」「御茶屋」と称せられた。
また、藤垣がめぐらされていたことから、藤垣城(ふじがきじょう)という愛称でも呼ばれた。

明治維新以降に堀は埋められて城跡は小学校の敷地となり、更にその跡地に武生市役所(平成の大合併によって越前市役所に転用)が建設された際に城跡は完全に破壊されて、現在は市庁舎と武生駅から越前市役所へと伸びる大通りとして完全に整地されている。

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継体は、ようやく即位19年後の526年、大倭(後の大和国)に都を定めることができたが、その直後に百済から請われて救援の軍を九州北部に送った。
しかし新羅と結んだ磐井によって九州北部で磐井の乱が勃発して、その平定に苦心している(磐井の乱については諸説ある)。

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