城下町岸和田を散策

岸和田は岸和田藩の城下町を中心に発展してきた人口約20万人の特例市。
岸和田だんじり祭で有名。

大阪湾に臨む市の中心部は寛永時代(17世紀初め)以降、岸和田藩主岡部氏の城下町として栄え、明治時代中期以後は泉州綿織物を主とする紡織工業都市として発展した。
大きな空襲もなく古い街並みが残る。

岸和田市役所別館、左へ行くと「こなから坂」右は紀州街道。

岸和田市道路元標

岸和田城址碑
すぐそこに「こなから坂」があるので、この辺りに北口門があったと思われる。

敬老の日の前日、岸城神社に宮入するだんじりがこのこなから坂を一気に駆け上がり城に向かって豪快なやりまわしを行います。

こなからとは半分の半分、即ち、4分の1を意味し、この坂が4分の1勾配に見えたことから、この名前が付けられたと伝えられます。

円成寺(えんじようじ)
信濃国住人で、俗名加藤則政が藤原信継に従い戦場に赴き、数々の武功を残したが、信継の没後発心し、本願寺證如上人のもと剃髪得度した。

法名を釋専稱と号して諸方に伏匿し、ようやく天文5(1536)年現在の地に坊舎を建立し、同信の人々に布教を始めたのが、円成寺のはじまり。
その後、460年余の長きにわたり専修念仏の道場として現在に至っています。

大きな商家が軒を並べ、城下町経済の中心として栄えた紀州街道沿いの町屋。
参勤交代が通る折に二階から見下ろせないよう虫籠窓を小さく、また、背後の岸和田城をうかがうことができないよう二階には窓がなく、屋根は傾斜しています。
前方、車の止まっているあたりが久住さんのお家、ここは吉田松陰の来岸所。

紀州街道は脇街道、紀州往還道であるため、大坂の高麗橋を起点として、和歌山城下まで一里塚が設けられていました。

由緒によれば弁財天は元々は一里塚に植えられていた松の下に小祠があったものを、天保7(1836)年8月頃に弁財天として社殿をつくり現在のところに遷座したものとされていて、現在も街道を往来する人々を見守り続けています。
(現地説明板より)

民家の軒下に唐(とう)みが置いてありました。
千把こきや足ぶみ脱こく機で出したもみをふるいにかけて、できたもみをよく実ったものと、しいな(実っていないもの)に分けました。
若い人は知らないだろうなぁ。

光明寺
開基不明。
現在地に元亀2(1571)年寺堂を中興した。
かつては岸和田城伝馬口門と西大手門を固める要衝を占めていた。

城の周辺に寺院が多く配置されているのは、合戦時、寺を陣屋にしたり、墓石を盾代わりに利用するなど、軍事的な意図も含まれていました。

岸和田だんじり会館
紀州街道に沿ったかつての岸和田城下の街並を館内全体で再現しつつ、だんじりと祭に関する資料が豊富に展示してある。

岸城神社(きしきじんじゃ)
南北朝時代、京都の八坂神社を勧請し、牛頭天王社と呼んで岸和田村の鎮守にしました。

のちに、小出秀政が岸和田城を創建した時、八幡大神を合祀し、代々の城主・住民に崇拝され、明治維新になって社名を岸城神社と改めました。

岸城神社は、岸和田城三ノ丸に鎮座し、天照皇大神、素盞嗚尊、品陀別命の三柱を御祭神としています。

9月の敬老の日の前日、岸和田祭の宮入りの際には大変賑わい、こなから坂をかけ上るだんじりの姿は圧巻です。

菊花祭りが開催されており、力作がたくさん展示されていた。

稲荷大明神

摂社 住吉神社 戎神社、愛宕神社、稲荷神社 など

絵馬堂、まだ恋が成就していない片思いのかたは「縁結びの道標」のコースを・・・
もう成就しているかたは末永く続きますよう「良縁幸福の道標」のコースを・・・
「絵馬奉納マップ」を片手に岸和田の町を歩いて岸城神社に奉納していただきますと・・・キット良いことが・・・・

三之曲輪の「別寅かまぼこ」の城内寮。
別寅かまぼこは岸和田に本社を置くかまぼこメーカー。
立派ですね。

岸和田市立自泉会館
岸和田紡績(岸紡、現・ユニチカの前身の1つ)創設者の寺田甚与茂に贈られた慰労金を基にして社長を継いだ長男の寺田甚吉が1932年に建設した寺田財閥の倶楽部であった。

岸紡や寺田家の関連建築を多く手がけた渡辺節の設計によるもので、近世スパニッシュ様式の建築である。
当日は他の用途に使われており、見学できなかった。

蛸地蔵駅
南欧風の西洋館で、ステンドグラスを持つ駅舎は人気がある。
大正3年(1914)4月に開業。
駅名にもなっている「蛸地蔵」は、駅から西へ約500メートルに位置する「天性寺」の通称。

かつて岸和田城に一揆が襲来したときに1人の大法師(地蔵尊の化身)と数千の蛸が城の危機を救ったことから、この寺に地蔵尊を安置したと伝えられており、西駅舎の天窓にはこの「蛸地蔵物語」が描かれたステンドグラスがはめ込まれています。

ステンドグラスの一部
このステンドグラスは、戦国時代に岸和田に攻めてきた根来・雑賀衆を蛸に乗った法師が錫杖を振るい、蛸が墨を吹いて撃退したという伝説「蛸地蔵縁起絵巻」をモチーフとしています。

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