魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅 奴国

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奴国は現在の春日市から福岡市博多区一帯にあたり、那珂川と御笠川に挟まれた領域に広がり、その中心は春日市須玖と考えられる。
 
弥生時代中期前半以降、三〇程の集落形成が認められ、中期後半には奴国王墓と見なされる須玖岡本遺跡を筆頭に比恵・那珂遺跡群、上月隈遺跡、門出遺跡などからも銅剣、鉄戈など武具類を副葬レた墳墓が確認されている。

奴国の丘歴史資料館

1998年に開館した市運営の資料館。延床面積2,820平方メートル。奴国の館ともいう。

入館は無料で、考古資料展示室、民俗資料展示室、特別展示室、収蔵庫、研修室、実習室などを備えている。

王墓の上石

公園内の東の一角にある大石。

1899年に、この大石の下の甕棺墓からおよそ30面の中国の前漢鏡、また銅剣2本、銅矛5本、銅戈1本、中国からもたらされたであろうガラス璧(へき)、日本産のガラス勾玉1個、ガラス管玉多数などの多数の副葬品とともに甕棺墓が検出されたことで、これが厚葬墓(王墓)の上石(うわいし)であるものと判明した。

大石は甕棺墓の上に標石状にのせられていたものと考えられ、発見時の記録とその後の周辺の調査から、王墓が方形の墳丘墓であったことも判明した。

1998年に移設され以後の姿に至っている。

岡本遺跡の覆屋(おおいや)

公園名は古代のこの地が奴国の中心地であったとの歴史考証に由来し、春日市域西部に広がる春日丘陵の北部、弥生時代の遺跡の密集地である須玖(すぐ)・岡本地区の内の、東西にのびた支丘上に位置している。

1979年とその翌年にかけて行われた発掘調査をきっかけとして、1992年度から1997年度にかけて岡本遺跡を中心に周辺の緑地や溜池を含めた約2.3ヘクタールの区域が歴史公園として整備された。

弥生時代中期の甕棺墓や土壙墓・木棺墓などの埋葬遺跡からなる墓地、およびこれに伴う祭祀遺構の遺跡。公園頂上部に設けられた2棟の覆屋(おおいや)の中に発掘調査時の状態で保存されている。

奴国(なこく、なのくに)とは、1世紀から3世紀前半にかけて、『後漢書』「東夷伝」や「魏志倭人伝」にあらわれる倭人の国である。
大和時代の儺県(なのあがた)、現在の福岡市付近に存在したと推定される[1]。

『後漢書』東夷伝によれば、建武中元二年(57年)後漢の光武帝に倭奴国が使して、光武帝により、倭奴国が冊封され金印を綬与されたという。

江戸時代に農民が志賀島から金印を発見し、倭奴国が実在したことが証明された。

その金印には「漢委奴國王」(かんのわのなのこくおう)と刻まれていた。

刻まれている字は「委」であり、「倭」ではないが、委は倭の人偏を省略したもので、この場合は委=倭である。

このように偏や旁を省略することを減筆という。
金印については「漢の委奴(いと・ゐど)の国王」と訓じて委奴を「伊都国」にあてる説や、匈奴と同じく倭人を蛮族として人偏を省略し委奴(わど)の意味とする説もある。

福岡市博物館所蔵の金印。

金印 印文「漢委奴国王」 筑前国那珂郡志賀島村(現福岡県福岡市東区志賀島)出土、こちらでの展示が唯一、実物と説明があった。

現物はとても小さく、スマホでうまく撮れないと賑やかであったが、隣の部屋で拡大したものを見ることができる。

大土居水城跡の木樋

水城(みずき)は、天智(てんじ)3(664)年に、唐(とう)・新羅(しらぎ)の侵攻に備えて築造された防衛施設で、今年は築造から1,350年目に当たる。

市内では、大土居と天神山の2カ所が国の特別史跡に指定されている。

大土居水城跡は、これまでの発掘調査によって土塁(どるい)の規模が幅40メートル以上、高さ8メートル以上であると分かった。

土塁は、数種類の質の違う土を突き固めながら層状に積み上げて崩れにくく造られており、版築(はんちく)と呼ばれる高度な土木技術が使用されている。

また、土塁の下部からは、木の板を組み合わせた導水管(木樋(もくひ))が発見されており、土塁の南側で水を取り入れ、北側の外濠(そとぼり)(想定)に吐き出す施設であると考えられている。

土塁と平行する外濠の存在は、堅固な防御の構えが想像される。


663年、白村江の戦いで唐や新羅の連合軍に負けたことをきっかけに、敵の侵攻に備えるため、水城や大野城、基肄城を築いた。

敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、「大宰府」が誕生したと考えられている。
このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要な所であった。

当時は通用門が東門と西門の2ヶ所しかない大変厳重な施設であったが、現在は鉄道や高速道路などによって分断されている。

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現在大規模な改良工事が進んでいる。

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