春驟雨の中の散策 明治村

明治村は非常に大規模であり、その敷地面積は日本のテーマパークでは、同じ名鉄インプレスが経営するリトルワールドに継ぐ、第3位を誇る。

前回の訪問時に半分回ったので今回は残りの半分を・・・しかし、あいにくの殴りつけるような驟雨の中の散策になってしまった。

前回の訪問記
レトロ感がとてもいい 博物館明治村
1965年(昭和40年)3月18日、名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助 … 続きを読む →


三重県庁舎
1879年(明治12年)の建築。設計は清水義八。
「旧三重県庁舎」として、1968年(昭和43年)4月25日に重要文化財指定。

ご覧の通り桜は散ってしまっている、みどりの中にミツバツツジが存在感を示す。

聖ヨハネ教会堂
宣教師でもあるアメリカ人建築家ガーディナーの建築。

日本聖公会京都五条教会として1907年(明治40年)に建てられた。
木造煉瓦造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に移築。細部はゴシック風。

「旧日本聖公会京都聖約翰教会堂」として、1965年(昭和40年)5月29日に重要文化財指定。

学習院長官舎

この学習院長官舎は、学習院が四谷から現在の目白に移された際、他の校舎とともにその構内に建設されたものであるが、当時の学習院長は陸軍大将乃木希典で、第十代目にあたる。

フランス人建築家レスカスによるものとされる、西郷従道の邸宅の接客用の洋館。

明治10年代に建設。 木造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に西郷山から移築。
内部で展示されている調度品の多くは鹿鳴館や赤坂離宮で使用されたもの。

二階のベランダは雨水を流すため若干の傾斜をつけるなどの細やかな工夫が随所に見られる。

明治村移築前は国鉄スワローズの選手宿舎として使われ畳を敷いていたとされ、移築にあたっては名鉄が保存していた国鉄キハ6400形蒸気動車の所有権を国鉄に返却し等価交換してもらう形をとった。

「旧西郷従道住宅」として、1965年(昭和40年)5月29日に重要文化財指定。

森鴎外・夏目漱石住宅

明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものであるが、空家のままであったのを、明治23年森鴎外が借家、一年余りを過ごした。

又、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいた。

札幌電話交換局

防火の観点から札幌軟石を用いた石造で建てられた。
一階はアーチ窓、二階は楣窓を採用している。

二階窓下には花紋が連続している。1898年(明治31年)建設。1965年(昭和40年)移築。

「旧札幌電話交換局舎」として、1968年(昭和43年)4月25日に重要文化財指定。

宗教大学車寄

この建物は、現在明治村3丁目の岬の広場に「あずまや」の如く建てられているが、本来は明治41年(1908)東京郊外の巣鴨に新築された私立宗教大学本館の車寄であったもの。

台場鼻潮流信号機

関門海峡は、潮流が急で海峡幅が狭く、特に明治後半には交通量も増加し、衝突座礁する船舶が少なくなかった。
 
この潮流信号機は、明治42年(1909)8月、竹ノ子島の台場鼻通行潮流信号所の設置され、航行する船舶の安全を図るため潮流の方向、緩急を70年間も知らせ続けその役割を果たしてきた。

村内風景

左が宗教大学車寄、右が神戸山手西洋人住居、旧所在地 神戸市生田区山本通
建設年代 明治20年(1887)代

それぞれ木造総二階建の主屋と付属屋からなる住宅であるが、建物の沿革は余り明確にはなっていない。
明治20年代(1887~1896)に建てられたものと推定され、当初は外国人のものであったと思われるが、同29年(1896)には日本人増田周助の所有であったとの記録がある。

六郷川鉄橋

旧所在地 東京都蒲田・神奈川県川崎間の六郷川(多摩川下流)
建設年代 明治10年(1877)

明治5年、日本に初めて鉄道が開業された時、新橋横浜間に造られた大小22の橋は全て木橋であった。

イギリスから鉄材を輸入して組み立てていたのでは、間に合わないという理由であった。
開通の後、複線化の計画と共に鉄橋への架け替えが進められ、明治10年11月、日本最初の複線用鉄橋として、この橋が完成した。

開通式は、時の工部卿伊藤博文も出席して、盛大に行われたと伝えられている。

停車している機関車は尾西鉄道蒸気機関車1号、尾西鉄道が開業するにあたり、アメリカのブルックス社から購入した機関車。

形式は2B1とよばれる前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸のタンク式。
尾西鉄道は明治29年に会社設立、明治31年には弥富―津島間が、同33年には弥富―新一宮間が開業した。

後ろの建物はハワイ移民集会所、ハワイ島の町ヒロのワイルック川のほとりに、日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会であった。

その後教会の役目を終えると、周辺の日本人の集会所となり、さらにヒロの英字新聞社の倉庫として使われるに至った。

その頃は屋根を取りはらわれ、二階が増築されて、姿がかなり変わっていた。  

移築当初、原形をとどめていた一階部分だけを復原したが、その後の調べで古写真が発見されたため、屋根を創建時の姿にもどし、建物周囲の柵や入口の橋などを補った。

京都市電「七条駅」付近。

明治時代、日本で初めての鉄道が開通しました。

明治村では、当時使われていた”本物”の蒸気機関車が運行されています。
さらに、日本で初めて開通した市内電車、「京都市電」も毎日運行。
いずれも、この時代の車両に乗車できることは国内のみならず、世界的にも極めて稀です。

この時期は何かと雨の多い季節です、図らずも今回は驟雨の中の散策となってしまった。

万葉集巻十七には、越の国に派遣されていた大伴池主が上司である越中守大伴家持とやりとりした長歌の中にこんなくだりがある。

「をとめらが春菜摘ますと くれなゐの赤裳の裾の 春雨ににほひひづちて……」。

遠く越の国にいて、遙か平城京に思いを馳せる。
春雨けぶる中を、恋しい人が摘草に出ているさまを思い遣る歌である。

「赤い裳裾が春雨に濡れて一層あでやかな色になっているではないか。ああもう、思い浮かべるだけで切なくなりますなあ」と、池主さんは完全にホームシックのようである。

このように万葉の昔から現代に到るまで、春雨には独特の情趣があるとされてきた。

驟雨は夕立のようなものであるが、春は春で夕立とはまた違ったイメージが、人々の心に映ったのではないだろうか。

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