飛鳥時代の行基瓦の残る元興寺

最古の寺といわれる飛鳥寺がルーツ。
平城遷都にともない、この地に移転、南都七大寺のひとつに数えられる大寺であった。

現存するのは極楽坊と呼ばれた僧房遺構。
すぐ南に五重塔跡が伝わる。金堂や講堂などは「ならまち」の民家や道の下に埋もれている。

東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、薬師寺、唐招提寺、平城京跡とともに、1998年に世界遺産に登録された。

元興寺「東門(重文)」。鎌倉時代の建築で、元は東大寺西南院にあったものを移築したもの。

石碑にある「元興寺 極楽房」というのが通称で、普段は「元興寺 極楽坊」と表記されていることが多いようだ。

元興寺の「本堂(国宝)」。別名は「極楽堂」「曼荼羅堂」。

元は僧坊だった建物を、1244年に改築したもの。
正面の柱間を6間の偶数としている(真ん中に柱が来てしまう)など、かなり珍しい特徴を備えたお堂。

「元興寺 極楽堂・禅室」は「行基葺(ぎょうぎぶき)屋根」ですが、この行基葺の瓦の中には飛鳥時代創建の「法興寺」の屋根に載せていた瓦、すなわち、1400年も遠い昔に
作られた瓦が混じっていると言われている。

色のついた瓦がそうなんでしょう。
歴史を背負った古い屋根瓦とはロマンのある話です。

「本瓦葺」の重ね葺きの場合、丸瓦の一方に重ねしろを取るため、段が出来ずフラットになるように作られている。

ところが、「行基葺」の方は、ただ重ねられるよう丸瓦の一方を細くしただけ。
当然、重ね葺きの場合瓦の継ぎ目に瓦の厚み(段差)が表面に出て変化に富んだ趣のある瓦屋根となる。

切目縁は両側面のみで正面・背面には設けられておりません。

馬道(めどう)とは字の如く馬が通る通路の こと。
馬を必要とする者の建屋なら理解できますが馬とはあまり関係がない寺院では理解できません。

多分、馬には関係なく細長い建物の途中を横切る通路のことを一般に馬道といわれるようになりましたので、僧房の建物などを分割して利用する際建物と建物の間の空間にも馬道の名称が借用されたのでしょう。

馬道(めどう)から派生した言葉が面倒(めんどう)で、馬が馬道を通ることを嫌がって面倒だったのでしょうか。面倒には色んな説があります。

白珠は人に知らえず 知らずともよし知らずとも我し知れらば 知らずともよし (万葉集・巻6ー1018)
この歌は元興寺の僧が詠んだ一首。

元興寺に独りで悟りを開き優れた知識を持っていた僧がいましたが、人々にその博識を知られていなかったために軽んじられていたそうです。
そこでその僧はこの歌を詠んで自らの才を嘆いたとのことです。

歌の内容は「白珠は人に知られないよ知られなくてもいいさ。知られなくても私さえ知っていれば知られなくてもいいさ」と、自らを「白珠(貝の中に隠れている真珠)」に譬えて詠んだ一首となっています。

たとえ他人に知られなくても自分さえその価値ある存在を知っていればいいとの自負と、同時に悔しさがにじみ出ているなんとも人間味のある一首です。

「知られなくてもいい」とこのような歌を詠むこと自体が「他人に知られたい」という強い欲求の裏返しであり、僧侶がそのような俗な欲求を持っていること自体が他人に軽んじられる理由でもあるのでしょうけれど、そこもまたなんとも人間らしくて面白い一首のようにも感じます。

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元興寺へのアクセス、行き方歩き方

元興寺公式サイト

奈良市中院町11
0742-23-1377

近鉄奈良駅から徒歩10分