長谷寺の桜も終末へと向かっている。
江戸時代の僧・良寛は 「散る桜 残る桜も 散る桜」
という有名な俳句を遺しています。(この句が辞世の句ともいわれる)
浄土真宗の宗祖とされる親鸞もまた、 「明日ありと 思ふ心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
というはかなくも散ってしまう桜に人の心変わりを重ね合わせて詠んでいます。
この奥ノ院へ向かう径はいつ見ても美しい。
登廊から見える桜はまだまだ元気だ。
入口の仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)、息を切らせながら上る。
繋屋から下を見ると登り楼と梅心院脇の桜、この桜はいつ見ても、どこから見ても目立つ。
僅かではあるがシャクナゲも見える。
本堂から見る五重塔、桜は散り、自己主張をやめている。
その分、緑と塔が際立って見える。
五重塔は昭和29年、明治9年に雷火で焼失した三重塔跡北側に建立された。
日に日に緑が濃くなります。
現存の本堂は、徳川家光の寄進を得て、正保2年(1645年)から工事に取り掛かり、5年後の慶安3年(1650年)に落慶したものである。
少し移動すれば桜と緑のコラボレーション。
お地蔵さんももう防寒具はいらないかもね。
愛らしい地蔵さんもいます。
奥ノ院へむかう、蓮華谷にはシャガが咲き誇る。
オオデマリも花芽を膨らませる。
カタツムリを見つけました、そろそろ春本番だね。
東参道を下る、『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。
中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。
定家塚、俊成碑も残る。
「二もとの杉」からさらに奥へ進むと、鎌倉時代初期の歌人・藤原俊成と、その息子であり『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の撰者である藤原定家を供養する石碑「藤原俊成碑・定家塚」がある。
藤原定家は、『年も経ぬ いのるちぎりは 初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ』と歌を詠んでいる。
なお、古くは長谷寺の参道入口は、この付近にあったという。
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長谷寺へのアクセス、行き方歩き方
奈良県桜井市初瀬731-1
近鉄 大阪線・長谷寺駅から徒歩15分