長谷寺を訪れたらまず、與喜天満神社(よきてんまんじんじゃ)へ。
與喜山(国の天然記念物)中腹に鎮座する與喜天満神社は、長谷寺の鎮守・地主の神様です。
與喜山は、古くは大泊瀬山と呼ばれ、古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山としてあがめられた。
『万葉集』では初瀬(長谷)にかかる枕詞「隠り国」(山に囲まれ隠っているような地)は、この自然のお姿から生まれたのです。
振返ると初瀬の町が望める。
長い階段を上る。
途中に末社八王子社と山神遙拝所がある。
岩盤の上に鎮座する八王子社は、天照大神と素戔嗚尊との誓託によって、お生まれになった八柱の神を祭る神社。
またこの磐座は、八王子社と当山の山神を参拝する場所です。
菅原道真公のご先祖・野見宿禰は、ここ初瀬の出雲のご出身で、初めは土師氏と称した。
道真公にとって初瀬は遠祖からのふるさとだったのです。
朝廷から学者として信任され、道真公は右大臣まで累進しましたが、大宰府に左遷されて亡くなりました。
しかし、道真公が現世では不幸な人生を閉じられましたが、生前のご功績とその至誠のこころから人々に敬われ、 ついに神となりました。
現在の本殿の向かって左に古代信仰のままに磐座(鵝形石)に祭られているのが天照大神で、女性の守護神として信仰されています。
磐座・「掌【たなごころ】石」と「沓形【くつがた】石」
長谷寺から、與喜天満神社の境内にいたる途中、初瀬川に架かる朱塗りの橋があります。
これが「連歌橋」で、当神社にて連歌をおこなう人々が渡ったので、その名が呼ばれるようになった。
天武天皇は、皇女の大来皇女を伊勢神宮の斎王とするために、この地に泊瀬斎宮という潔斎の施設を設けたことが、『日本書紀』に記されています(天武天皇二年四月<673年>)。
皇女がこの地で潔斎を経て、伊勢に向かうのは、初瀬が伊勢神宮の信仰の出発点と見られていたからではないでしょうか。
その太陽信仰の原点が與喜山に伝承していることからも、泊瀬斎宮は禊ぎの川、初瀬川を帯に巻いたような神聖な與喜山にあったと考えられます。
当山にはこのような女性神の信仰が古代から息づいていたのです。
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與喜天満神社へのアクセス、行き方歩き方
奈良県桜井市初瀬14
TEL/0744-55-2300
近鉄大阪線「長谷寺」駅下車 徒歩15分