観音霊場壺坂寺の諸仏

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草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。

京都の清水寺の北法華寺に対し南法華寺といい、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。

多聞天立像、木造・古色 像高156.2cm 平安時代 12世紀。

右手を腰に当て、左手は高く上げて戟をとり、左脚に重心を落として立つ守護神像。

大講堂、本尊 弘法大師像(鎌倉時代)

不動明王坐像、木造・彩色・切金 像高50.7㎝  平安時代 12世紀。

本像は髪を巻髪、左眼を半眼とし、口を斜めにかみしめ口角に上下に牙をあらわし、右手に剣、左手に羂索(現在亡失)をとる姿である。

両界曼荼羅(奈良国立博物館寄託)、紺地金銀泥 各縦160cm 横155cm 鎌倉時代 13世紀。

金剛石のように堅固な大日如来の智慧を表現する金剛界曼荼羅と、大日如来の慈悲の広がりを表現する胎蔵曼荼羅という、本来は別個の二図を一対とした、密教の根本の図。

本尊十一面千手観音菩薩像、室町時代の樫材の寄せ木造り。

蓮華座上にどっしりとした姿、ふくよかな顔立ちをする。
御本尊である十一面千手観音菩薩座像は「眼の佛」として広く信仰を蒐めている。

奈良・平城京を開いた元正天皇は皇女の折り、壷阪寺に詣で眼病の治癒を祈ったと伝えられ白鳳という古い時代から壷阪観音として多くの人に親しまれて来た。

桓武・一条の天皇の眼病も平癒された。

灌頂堂 平成17年4月落慶、本尊 十一面千手観音菩薩(室町時代)

天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」はお釈迦様が誕生してから涅槃に入られるまでの一生を浮き彫りしたもので全部で10面ある。

画像は「苦行」と「乳糜(にゅうみ)供養」の場面。

乳糜供養、6年間の命がけの苦行によっても真の解決が得られないことを知り、太子は苦行を放棄した。

先に王宮での豊かな生活を捨て、今後は過酷な苦行を捨てたわけで、両極端を放棄したのである。

苦行を放棄した太子は森を出て近くのナイランジヤナー川に入り、垢にまみれた実を洗い清めた。

そして村の娘スジャーターから乳糜ほもらった太子は、体力を開始していった。

5人の従者は太子が苦行を捨てたのを知って、彼を見捨てて去っていった。

第9面の「チュンダラの供養」は、最も重要な場面である、「涅槃」へと至る。
人々の嘆き悲しむさまが描かれている。

仏足石(ぶっそくせき)とは、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。

古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられている。
また仏足石は釈迦のものとは限らず、シバ神の足跡も信仰の対象とされている。

両足を揃えたものがより古い形式のもので、片足のものは比較的新しく紀元後のものと考えられる。

もう一つの霊験記 さよ姫伝説

壷坂の村に住む姫君が、尊い聖の説法にでかけ、親孝行する者には仏神が感応すると聞いた。

貧しくて父親の十三回忌に何もできないのを悲しんでいると、たまたま陸奥国の商人が15~16歳の女性を買いに来たので、進んで我が身を売り、そのお金で父親の菩提をとむらうことができた。

母を残し、遠い陸奥国まで来た姫君は、15~16歳の女性が必要とされた理由を知る。

ここでは毎年、大蛇に人のを供えなければならず、ある親が娘の身代わりを求めていたのである。

決められた池の中嶋で待つと、やがて長さ10丈(30メートル)もある大蛇が現れた。

しかし姫君が御経を読むと、経典読誦と親孝行の功徳により、大蛇は成仏を確信して歓喜し、姫君を乗せて天に昇る。

姫君は実は弁財天、大蛇は実は壷坂の観音菩薩であり、末世においても信心があれば二世安楽うたがいなしと結んでいる。

壺坂霊験記、盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻を問い詰める。

お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。

邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。

夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。
二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになる。

沢市が盲目になったのは実は白内障であり、滝に飛び込んだ衝撃で治ったのであろう、とする説がある。

壺阪寺の本堂横手には、お里と沢市が身を投げたとされる谷がある。

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壺阪寺へのアクセス、行き方歩き方

壺阪寺公式サイト

近鉄吉野線「壷阪山」駅下車。
駅前から、奈良交通バス「壺阪寺前」行きに乗車し、終点の「壺阪寺前」で下車する。
バス乗車時間約15分。
12月~2月の冬期期間のバス運行頻度は極端に少ないので、この期間中、路線バスは事実上利用できないと考えた方がよい。