壺坂寺 冬の早朝

奈良県
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奈良時代の創建と伝えられる町内屈指の古刹で、清少納言も『枕草子』の中で「寺は壷坂、笠置、法輪」と、1番に名をあげ、賞賛しているほど。

外気がピリリと肌に刺さる寒い冬の日でした。

右画像、遠景は天竺渡来大観音石像、昭和58年3月 開眼 全長20m 全重量1200t 。

天竺渡来大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したもの。
インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な方のご支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。

20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。

守護神の仁王像。

像容は上半身裸形で、筋骨隆々とし、阿形像は怒りの表情を顕わにし、吽形像は怒りを内に秘めた表情に表すものが多い。

こうした造形は、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神としての性格を表している。
仁王像は安置される場所柄、風雨の害を蒙りやすく、中世以前の古像で、良い状態で残っているものはあまり多くない。

朝の光を浴びて美しい多宝塔。

外見は二重塔であるが、本来は一重の宝塔のまわりに裳階がついた形であって、発生的には二重塔ではない。

十一面千手観音菩薩、手にしてる仏具が間近に見れます。

林の中の11面観音、スポットライトを浴びたようだ。

本尊十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名。

十一面千手観音菩薩像 身丈3.3m 台座1.5m。

壷阪寺の灌頂堂の内部、向かって左手が、江戸時代前期の大名で、高取藩の初代藩主の「本多俊政公像」。右手が、太閤秀吉の弟で大和大納言と呼ばれた「豊臣秀長公像」。

豊臣秀長公、豊臣秀吉の異父弟。大和郡山城主。
秀吉の片腕として辣腕を奮い、文武両面での活躍を見せて天下統一に貢献した。

本多俊政公、江戸時代 大和高取藩初代藩主 因幡守 別名:正武、俊正、利朝 。

父本多利久とともに豊臣秀長に仕える秀長の死後、豊臣秀保に仕え、その死後秀吉の家臣となった。

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壺阪寺へのアクセス、行き方歩き方

壺阪寺公式サイト

近鉄吉野線「壷阪山」駅下車。
駅前から、奈良交通バス「壺阪寺前」行きに乗車し、終点の「壺阪寺前」で下車する。
バス乗車時間約15分。
12月~2月の冬期期間のバス運行頻度は極端に少ないので、この期間中、路線バスは事実上利用できないと考えた方がよい。