縁切り寺として知られる 瑞光寺

京都府

明暦元年(1655年)元政上人がこの地に称心庵という庵を結んだのに始まる。寺地は平安時代初期(9世紀)、太政大臣藤原基経が建立した極楽寺の跡地である。

元政はもと彦根藩士で俗姓を石井といったが、藩士の身分を捨てて妙顕寺日豊の門に入り、明暦元年(1655年)、上述のように深草に庵を建立。
寛文8年(1668年)、当地で示寂した。

瑞光寺は縁切り寺として知られます。
これはあくまで伝説ですが、元政上人出家の原因として、江戸吉原の高尾太夫の死がきっかけだったという話に基づいています。

元政上人がまだ井伊家に仕えて江戸屋敷にいた頃、吉原の三浦屋高尾太夫(みうらやたかおだゆう)と恋仲になりましたが、仙台藩主の伊達綱宗が高尾太夫に横恋慕し、悩んだ高尾太夫は元政に操を立てて自殺してしまいます。

この事件のショックから元政は世をはかなんで出家したという物語です。
この話が広まり縁切り祈願の信仰を集めることになったということです。

そんな元政上人のお墓へお百度参りをすることが、縁切りの効果に繋がります。

まず縁切りをするには元政上人のお墓の周囲を時計とは逆方向に回ります。
自分の年の数だけを回り、ご利益を得るには21日間の参拝が必要だそうです。

そんな艶っぽい話とは無縁のごとくススキが風に揺れていました。

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瑞光寺へのアクセス、行き方歩き方

伏見区深草坊町4
075-641-1704

JR奈良線「稲荷」駅より徒歩7分
京阪本線「深草」駅より徒歩8分。