久し振りに同館を訪れたが10年1日のごとく何も変わっておらず、唖然とした。
水都大阪の展示といい、近代現代の街のパノラマといい、良い展示もたくさんあるのに人が入っていない。
要は人を集めようと努力してないんやなぁ。
画像は大阪城天守からのものだが左側の建物が旧第四師団の建物で、同館は昭和35年に開館した大阪市立博物館。
平成13年に現在地に開館。
少し目を右へずらせば現在の大阪歴史博物館が見える。
同館を訪れて一番残念に思うのはこの景色。
大阪と言えば当然「大阪城」だ。
難波宮とは反対側に見えるようになっているが、ガラスに建物内部が反射してまるで見えない。
それに金曜のみ19時まで開館で他は5時閉館。
堺市役所の展望タワーかて21時までやってまっせ、年中無休やで、そして夕陽の見える時間まで掲示して一生懸命商売してまっせ。
最上階は古代フロア、難波宮の官人や女嬬が迎えてくれます。
しかし、余計なものが右側のシャッター、一定間隔の時間で開け閉めするようになっているが、何の意味があるんや。
こんなところに金使わんでももっとやることはいっぱいあるやろ。
ここは中世近代フロア、安治川橋が再現されている。
水都大阪の安治川河口の様子。
安土桃山時代に、豊臣秀吉によって 大坂の町割が作られ都市の基盤が築かれ、江戸時代にかけては北前船や菱垣廻船などの寄航地として栄え、日本最大級の港となった。
堂島米市場、河村瑞賢の堂島川改修によって堂島新地の町割が行われ、元禄10年(1697)に淀屋の米市が移転して堂島浜通り1丁目に堂島米市が発足した。
広島藩大坂蔵屋敷復元模型、大阪大学医学部のあったところは広島藩の蔵屋敷があったところで舟入跡が見つかっている。
江戸時代以降、難波橋・天神橋・天満橋は、幕府が管理する公儀橋となり、市民の生活にも深く関わっていたことから浪華三大橋と呼ばれていた。
反りのあった難波橋からの眺望は特に優れ、大川の花火見物や夕涼みなどの一等桟敷となったそうです。
江戸時代には八軒の船宿などが軒を並べていた事から八軒家浜と呼ばれ、京洛から淀川を下ってきた三十石船が到着した。
熊野参詣の起点としてだけでなく、京都と大坂を結ぶ淀川舟運の要衝として栄えた。
その様子は多くの書物に遺されている。
十返舎一九「東海道中膝栗毛」第八編では、舟を下りた弥次郎兵衛と北八が「大坂の八軒家」で上陸し、また摂津名所図会「八軒屋」、浪華百景「八軒屋夕景」には八軒屋の賑わいが描かれている。
京阪電鉄天満橋駅から土佐堀通りを挟んだ向かいにある永田屋昆布店の軒先に石碑が建っている。
住吉大社前は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内馬場(現在の住吉公園)は海に面し、白砂青松の風光明媚の代表地とされ、その風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばれた。
また紫式部『源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれている。
また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話である。
船場の町並み、大坂の商業の中心船場は、人々の暮らしの場でもありました。
このジオラマは、安政年間(1854~1860)の船場北端部、淀屋橋にほど近い梶木町と尼崎町1丁目の春の情景を復元してあります。
富裕な両替商が多い地域ですが、裏長屋に暮らす人々もいました。
御座船地車(ござぶねだんじり)、大阪の町やその周辺の村々では、近世から夏祭りなどの祭礼に「だんじり」と呼ばれる山車(だし)が曳行されてきた。
この御座船地車は、1955年頃まで旧安立七丁目町会が、止止呂支比売命神社(とどろきひめのみこと)の秋祭りに出していたもので、寛政年間(1789~1801)に地車大工と船大工が製作したと伝えられます。
明治大正期の街のパノラマ、昔の鉄工所ってこんな感じやったなあ。
現在も賑やかなアーケードである心斎橋筋の店舗の再現模型。
江戸時代から小売りの店が集まっていた通りで、戦前には有名な“銀ブラ”に対して、“心ブラ”という言葉があったそうです。
なんや向こうから爺さんが歩いてきそうな感じがします。
繁華街の映像です、上の写真には初代通天閣が写っています。
初代の通天閣は明治36年に開催され、五ヶ月で500万人以上の人を集めた第5回内国勧業博覧会の会場跡地の一部に明治44年に建設されたもので、エッフェル塔を模したデザインでした。
塔の周辺にはルナパークという遊園地も造られ、全体で新世界と呼ばれる様になりました。
阪神電鉄梅田駅模型、梅田(大阪市北区)は、大阪を代表するターミナルのひとつで、JRや阪神・阪急、市営地下鉄の鉄道駅が集中している地区です。
阪神電鉄の梅田駅は、昭和14年(1939)に地下化して現在の位置に延びるまでは、やや西寄りの中央郵便局南側の地上に駅がありました。
この模型は、大正15年(1926)に竣工した梅田駅を再現したもので、2階建の駅舎やホームのようすがよくわかります。
なお、現在この場所は、商業施設「ハービス・エント」となっています。(案内板)
大阪歴史博物館へのアクセス、行き方歩き方
住所:大阪市中央区大手前4
TEL:06-6946-5728
谷町線/中央線:谷町4丁目