肥前の海城 唐津城

今日から肥前、肥後、5ヶ城歴訪の旅の始まりだ。
島原の乱関連地ばかりを訪れることになる、最終に総括がいるかなと意気込むが・・・・・

毎回、九州シリーズは夕日、朝日をお届けするのだが今回は残念だがありません。
天気予報は曇りまたは雨の予報ばかりで空には重い雲が、ただ、湿度は異常に高く気がめいるほど蒸し暑い。

最初の訪問は唐津城、三年目の訪問だ、前回訪問時は天守の石垣の工事をしていた。
100円払ってエレベータを使う手もあるがここは徒歩で。

樹齢100年のフジの古木の下は虎口がある。

2013年8月訪問時には天守はクレーンで持ち上げられていたっけ。

今回訪問時はご覧の通り立派に補修が完了している。

文禄4年(1595年)豊臣秀吉の家臣・寺沢広高がこの地に封ぜられた。
広高は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍方につき、肥後国天草郡4万石を加増され12万3千石の外様大名となった。

慶長7年(1602年)より本格的な築城を行い、慶長13年(1608年)に完成した。

北面は唐津湾に面するため、海城ともいわれ、萩城とともに現在も直接海にそびえる石垣がみられる

満島山を中心に鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれる。

天守からの玄界灘の眺め、目の前は宝当神社のある高島。
1990年代にある住民が宝くじを購入した際、神社名にあやかりこの神社に当選を祈願したところ高額当選した事をきっかけに、「この神社に祈願すれば宝くじが当たる」という評判が立つようになった。

現在も石垣の補修、庭園の補修工事が行われている。

工事現場を見ると石垣の裏側の構造がよくわかる、このような対策をしたうえで石垣が崩落しないような対策が取られている。

広高は松浦川の流路変更に見られるように土木事業に長けており、防風林として松原の保護育成を行った。
これが日本三大松原として今日に残る虹の松原となっている。

寺沢広高が残した日本三大松原、虹ノ松原、本来は二里あるので二里の松原と言ったとか。

今日のお昼は画像に見える唐津シーサイドホテルでいただくことになっている、楽しみだ。
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寺沢広高のこと

文禄元年(1592年)からの朝鮮出兵に際しては肥前名護屋城の普請を務め、出征諸将や九州大名への取次を担当し、長崎奉行にまで出世した。

奉行時代の1594年にキリシタンに改宗したが、1597年の日本二十六聖人処刑を契機に棄教。

貿易統制から朝鮮に出兵した日本軍の補給や兵力輸送の任を務めた。
小西行長と共にいわゆる武断派から憎まれた。

唐津や天草の土着豪族を弾圧したが、その結果、唐津は安定し繁栄した。
他方、当初はキリシタンの弾圧を公然とは行っていなかったが、1614年の禁教令以後、厳しく棄教を迫るようになり、晩年には拷問の手法を取るようになった。

慶長6年(1601年) 、関が原の戦いの戦功報償として肥後天草を加増されたおり、広高は天草の石高を合計約42,000石と算定したが、これは天草の実状を無視しており、実態の倍という過大な値だった。

このため以後の徴税が過酷となり、広高の没後、嫡子堅高の代に島原の乱(1637年~1638年)が勃発する原因の一つとなった。

広高の子の堅高は、天草領に構えていた富岡城が島原の乱の際に一揆側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収された。
堅高は、正保4年(1647年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となった。

しかし根本原因である過大な石高の半減を幕府が認めるには万治2年(1659年)まで掛かった。

更に寛文11年(1671年)、天草はそもそも私領に適さないとして幕府直轄領となった。
これは当初から⌒判っていたことで幕府の失政の一つだろう、最初から天領であれば島原の乱は無かったか。

ただ、寺沢家は2代で断絶となり、唐津藩は大久保、松平、土井、水野、小笠原と徳川家の重臣たちが交代で治めたため、広高を伝える公文書も、肖像画もほとんど残っていない。

親友との約束

若い頃、親友の安田国継と立身出世を夢見て、どちらかが国主になったら一方は10分の1の禄をもって家臣にしようと約束した。

広高は秀吉、国継は明智光秀に仕え、光秀が本能寺の変を起こして織田信長を殺し、国継はその時に信長に手傷を負わせたために以後は転落する人生を送ったが、広高は順調に出世し、8万石の国主時代に10分の1の8000石で国継を召し抱えて約束を果たしたという。

寺沢広高は明智光秀の三羽烏の一人安田作兵衛が浪々の身であるのを哀れみ、家来として召し抱えたという話は有名で、天守の二階には本能寺の変のとき、織田信長に傷を負わしたという安田作兵衛の槍が展示されている。

寛永10年(1633年)死去、享年71

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唐津城へのアクセス、行き方歩き方

佐賀県唐津市東城内8-1
TEL 0955-72-5697

JR唐津線線唐津駅~徒歩約15分

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