うだるような暑さのこの日京都を訪れた、朝から釜で煎られているような暑さです。
長刀鉾、粽を求める長い行列ができている。
青空に長刀の鋭利な刃先がきらりと光る。
ウィンドウのディスプレイも長刀鉾が先頭だ。
山伏山の街屋に寄ってみる、山伏山の山伏のお話しとは、その昔法観寺の五重の塔(八坂の塔)が傾いた時に 法力でそれを直した修験者(山伏)の故事を題材にして造られている。
この山伏山はその修験者が山伏たちの聖地である大峰山に入るところを表しているという。
沢山の展示品が見られる、こちらは裾房金具。
胴組飾金具。
三十六歌仙屏風。
こういう欄縁の飾り金具の精巧さには惹かれます。
ふと屋根を見上げると風情ありそうな看板が。
鍾馗さんもにらみを利かせている。
鍾馗の縁起については諸説あるが、もともとは中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話が流布している。
ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。
玄宗は高熱のなかで夢を見る。
宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。
玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。
だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。
夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。
感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。
その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。
この伝説はやがて一般に広まり、17世紀の明代末期から清代初期になると端午の節句に厄除けとして鍾馗図を家々に飾る風習が生まれた。
朝から熱心なファンが詰めかけている、あちこちの鉾でこういう風景が見られます。
鉾の前でわが子の撮影をする若いママさん、微笑ましい風景です。
この日はあちこちで園児、小学生の団体を見かけた、課外授業なのかな、引率の先生、暑い中大変です。
交差点で見かけた浴衣姿の女性、涼しそうに見えます、でもうっすらと汗をかいておられました。
八坂さんへ向かって歩く、行き交う人も浴衣姿が目立つ。
八坂の境内では謡曲大会が開かれていました、暑い中ご苦労様。
八坂から河原町へ帰る途中、交差点で信号待ちの舞妓さんを見つけました。
信号が変わるとものすごい速さで交差点を渡ります、彼女たちの歩くスピードはとても速い、まるでなにかから逃げているような。
あっという間に路地に消えた、きれいな立ち姿と猥雑な路地の風景、この道は彼女たちの通勤路なのだ、祇園の実態を見た気がした。
インド人風の夫婦、なにか面白いものを見つけたようです。
暑さももう限界です、熱中症の前触れのような感じにアーケードの下に逃げ込む。
ウィンドーウォッチングです、何やらこわもてのお姐さんです。
虎の鋭い目、しびれるね。
ズームダウン回転の練習。
と、言うことで早々に祇園を引き上げた。