筑前の小京都 秋月城址

鎌倉時代に 原田種雄が秋月の庄に入り 「秋月」を名乗ったが、 江戸時代になって黒田長興が秋月5万石の領主となり秋月城を築いた。

小さな橋の上から野鳥川の清流。

かっての藩士の登城道である「杉の馬場」通りには、藩校「稽古館」や、秋月郷土館が建っている。

秋月氏16代種実の時代、大友宗麟に何度か攻められるも、毛利元就の援軍もあり撃退、秋月氏は最盛期を迎えた。

しかし1587年の九州征伐に乗り出した豊臣秀吉に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封された。

これにより、秋月城は廃城となる。

寛永元年(1624年)、福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より夜須・下座・嘉麻の範囲で5万石を分封され、長興は、九州征伐以降廃城となっていた秋月城を大幅に改修し、陣屋を置いた。

以後、黒田氏12代が明治まで治めた。
明治6年(1873年)の廃城令によって廃城となり一部を残して撤去された。

秋月城北西隅部の櫓台石垣。
ここには隅櫓が構えられていた。

中学校正門へ至る坂道から見た堀と瓦坂。

かつては大手門が位置し(今は渡れません)、南側に裏門を構えている。
大手門は枡形となり、その奥に表御殿があったが、現在では中学校の敷地となっている。

瓦坂、瓦を縦に並べて土の流れを防いでいる。

石段を上がったところが長屋門、右脇は櫓台石垣。

雨に濡れきれいに輝く緑の階段をもう一段上がる。

かつて表御殿、奥御殿があった城の中枢部は現在、中学校敷地。

アジサイの咲き乱れる小道をさらに進む。

まだまだ登りは続く。

上りきったところにあるのが、秋月城本門(黒門)、この門は、2回移築されている。

もとは秋月氏の本城である古処山城の搦手門で、それが秋月藩の成立後(1623年)、秋月城の大手門として、現在の秋月中学校前の瓦坂の奥に移されたといわれている。

さらに明治13年(1880)、垂裕神社の門として現在の場所に移された。
まさにこの門は、中世以来の秋月の歴史を見つめてきている。

さらに上る。

明治期に廃城となり払い下げられた後、現在跡地には黒田長興を祀った垂裕神社(すいようじんじゃ)が建てられている。

境内には楓の木が多く、周辺は紅葉の名所としても有名。

秋月郷土館入口(戸波家長屋門)、秋月の歴史資料と美術品を公開する総合的な郷土の資料館。

秋月藩の上級武士だった「戸波家」の屋敷地と藩の学校「稽古館」の跡地を用いた郷土館内には「戸波家」の旧家屋と庭園の回りに、郷土美術館と二棟の歴史資料館が配置されている。

「戸波家」の庭園。

藩校「稽古館」跡地に建つ郷土美術館。

芝生が美しい郷土美術館。

蘭学を修めた緒方春朔(しゅんさく)は天明年間に秋月藩の藩医となり、1790(寛政2)年人痘種痘法によって天然痘予防を成功させた。

これは イギリスのエドワード・ジェンナーが 牛痘種痘法を確立するよりも6年も前のことである。

この碑は緒方春朔を顕彰するために地元の医師の集まり“春朔会”によって2004年に建立された。

杉の馬場に草木染の店があった、秋月の街そのものが草木染にぴったしの感じがする。

朝倉市のマンホール、福岡市の水がめということで、ダムが描かれています。

こちらのマンホール、秋月城の黒門ともみじが描かれています。

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秋月城址へのアクセス、行き方歩き方

福岡県朝倉市秋月野鳥
0946-24-6758 あさくら観光協会
0946-52-1428 朝倉市 商工観光課

甘木鉄道甘木駅から秋月行きバス約20分「郷土館前」下車徒歩約10分

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