神代の昔、海神である豊玉彦尊が当地に宮殿を造り、この和多都美神社が鎮まる地を「夫姫(おとひめ)」と名付けたという。
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)の夫婦神が祀られている。
三柱鳥居 磯良恵比寿 ご神体は目下水没中、社殿の前には磯良の墓伝説のある磯良恵比寿という磐座がある。
現地の説明板によると磯良の墓とした伝説があるが、古い祭祀における霊座か、御神体石だったのではないか? と書かれていた。
大潮の時期、満潮をむかえた境内では社殿の近くまで海水が到達することもある。
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されています。
本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえ、潮の干満により、その様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせています。
古式大祭の際に行われる伝統行事「舟(ふな)ぐろう」で使われる舟。
対馬の漁村に古くから伝わる行事で、派手な女性の衣裳を身に着けた船頭さんが「ヨイヨイサー」と掛け声をかけ沖へ漕ぎ出して行きます。
拝殿の左脇にまた三柱鳥居を見つけた。
その中心には大きな磐座のように見える岩があった。
海神豊玉彦命の墳墓とも云われるものである。
鬱蒼とした薄暗い森の中へと入ってゆく。
我々一行以外に誰もいない原生林は霊気を孕(ハラ)み、目に見えぬ神が語りかけて来るように感じた。
左手方向に磐座がある。
本殿の裏手の海宮山の原生林の中を少しく歩くと、磐座がみえてくる。
この手前の壇が豊玉姫命の墳墓(御陵)である。
ただ、豊玉姫命は”仁位の高山”に葬られたと社家には伝承されているので、この磐座は恐らく古い斎場の跡であったものが、戦後の混乱期に社家がいったん途絶した為、「豊玉姫の墳墓」と言われるようになったと考えられる。
対馬には多くの神々が鎮座していますが、特に重要視されてきたのが、海神の娘・豊玉(とよたま)姫と、神功(じんぐう)皇后です。
豊玉姫は「古事記」の海幸山幸伝承に登場する女神で、初代天皇である神武天皇の祖母にあたります。
航海守護・安産・豊漁などの庶民にも身近な神徳があり、島民に親しまれてきました。
一方、神功皇后は懐妊したまま三韓(朝鮮)征伐を行ったとされる勇ましい女神で、子の応神天皇とともに「八幡神」として全国の八幡神社に祭られています。
神功皇后は九州北部に縁の深い女神であり、対馬にもたくさんの伝承地があります。
豊玉姫は外国への航海(交流)の守護神、神功皇后は外国から国土を守る女神であり、これはそのまま対馬の二面性(交流と国防の最前線)を表しています。
神明造りの本殿。
拝殿横にある龍神のような老松。
この後近くにある烏帽子岳展望台に上って見ます。
山頂近くまでの道路と駐車場が整備されており、60mほど登る。
山頂には展望塔があります、烏帽子岳(標高176m)は、対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸に位置し、360度をぐるりと見渡せる展望台です。
東には対馬海峡、西には朝鮮海峡が広がり、複雑な入り江と無数の島々がおりなす典型的なリアス式海岸の景観を一望できます。
古代から天然の良港として知られた浅茅湾の歴史と、リアス式海岸の雄大な景観を楽しむことができる観光スポットとして人気です。
距離を確認して見る、近くにあった地図です、福岡から134㌔、釜山まで49.5㌔の近さです。
晴れた日には釜山まで見渡せます。
和多都美神社へのアクセス、行き方歩き方
長崎県対馬市豊玉町仁位55
0920-58-1488
対馬厳原港→車50分、または対馬空港から車30分