豊後路の小京都へ杵築城を訪ねる

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杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。
台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。

駐車場脇の入り口から台上の城を目指す。

昭和45年に3層の天守閣と築地塀が復元され、国東塔や五輪塔を集めて古代公園が造られている。

戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、江戸時代には杵築藩の藩庁が置かれた。

城跡は、公園として整備され、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が建てられている。

市の中心部に今のような城下町がつくられたのは、松平英親が入部してからといわれ、その繁栄を背景とした美しい町並や武家屋敷群が今日に残り、城下町は、南台・北台と呼ばれる高台に侍屋敷を、その間の谷川に沿って町屋を配し、これらの高台を結んで、志保屋の坂、酢屋の坂、勘定場の坂などがある。

杵築は北台、南台、という2つの台地に武家屋敷を配置。

現在も北台武家屋敷には藩校をはじめとする当時の建物が数多く残っており、そして台地の下には町人の町並みが残っている。

勘定場の坂を見上げる。

杵築城から北台武家屋敷を結ぶこの坂は、江戸時代、収税や金銭出納の役所があったことからこう呼ばれた。

坂の上からお城の方角を眺めると、天守閣が見えてくる。

「勘定場の坂」は、ご城下にあって最も城に近い坂でもある。

石段53段の坂は勾配24度の傾斜を持ち、石段の蹴上がり15㎝、路面は1.2m。お城勤めの家老たちを運ぶ馬や駕籠(かご)担ぎの歩幅まで計算したものだという。

まっすぐに延びた石畳は素朴さの中にも堂々とした風格で続いている。

振返り登ってきた坂を見る。

藩主および武士が通行した坂で広く、前面にゆるやかな傾斜がある石段は、駕龍かきの足に合わせて造られています。また、側溝には上からの水が一気に流れないよう工夫されています。

城下町の風情が良く残っていて、城下の北台 ・南台武家屋敷あたりを散策。 
勘定場の坂~藩校(藩校の門が現存)~酢屋の坂へのコースがお奨めだ。 

坂と石の階段、武家屋敷の土塀・・・江戸の風情を堪能できる。

台上にあるため、モータりぜーションの波を逃れることができたものと思われ、当時の屋敷などが色濃く残されている。

藩校学習館は1785(天明5)年、七代藩主能見親賢公が設立したもの、現在は杵築小学校になっている藩校の跡。
門や建物が残っています。

杵築藩家老を務めた大原邸など見学したい使節は沢山あるが、今回は素通り。

こうしてみると「北台」自体が一つの城郭のような印象を受けます。

坂を下りたところに酢屋があったことから、酢屋の坂と呼ばれるようになりました。

南台の塩屋の坂と対照的に作られており、南北の高台に武家屋敷が並び、その狭間に町屋が軒を連ねるサンドイッチ型城下町の形がよくわかる杵築の代表的な坂です。

パンフレットで着物姿の美人を配した写真をよく見ますが、坂下からは若いお嬢さんたちが上がってきます。

土塀と石垣の調和がとれた美しい石畳の坂道で、上り詰めたところにあった広場では、騎馬、武士の共揃えの場所になっていました。

また、坂の上が広く下が狭くなっているのは、上からは攻めやすく下からは攻めにくくするために工夫された造りといわれています。

北側の「番所の坂」には番屋が復元されています。

灯籠に灯が入り、いい雰囲気です。

マンホールの蓋は、守江湾に生息している貴重なカブトガニと、 それを守ろうと両手で包み込むデザインになっている。
旧市章入り。

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杵築城へのアクセス、行き方歩き方

大分県杵築市杵築16-1
TEL:0978-62-4532

JR日豊本線、杵築駅下車、杵築バスターミナル行バス12分「終点」降車、徒歩10分。