天守の高さ日本一を誇る勝山城博物館

勝山城は明治維新後解体され今は跡形もない。

博物館は、地元出身の実業家、相互タクシーの創業者である多田清の手により建築され、1992年(平成4年)7月19日に開館した。

信号の少ない大野経由で勝山に入る。
めったに見れない越美北線の列車。

沿線では雪をかぶる山々の麓で田植えの準備が進む。

芝桜かな?ピンクがきれいです、バスの車窓より。

ここは恐竜街道、恐竜の模型がお出迎え。

1992年7月一般公開の勝山城博物館は、天守閣の高さが57.8mあり、日本一の高さだ。

コンクリート製の模擬天守であり、二の丸、三の丸、馬出などの曲輪は存在しないが、堀や城門は重厚な造りになっている。

石垣には勝山市を流れる九頭竜川と、勝山市から発見される恐竜化石にちなんで9匹の龍が彫り込まれている。

館内はエレベーターで最上階まで上がり、階段を下りながら各界の展示物を見学できるよう配慮されている。

各階はかなりゆったりした作り。

江戸時代の大名の武具や武家の女性の着物、合戦図屏風などを収集展示している。
現在は「公益財団法人多田清文化教育記念財団」が博物館を運営している。

勝山城天守の模型、勝山城博物館は5層6階天守。

天守から見える越前大仏、こちらも、地元出身の実業家、相互タクシーの創業者多田清の手により建立され、1987年(昭和62年)5月28日に開眼供養。

拝観料は当初、大人は3000円であり、その後2500円、1000円を経て、現在(2008年11月現在)は500円にまで下がっている。

参詣者数は当初から伸び悩み、「門前町」と称する土産物店街は現在一軒のみ。

1996年から納税が困難になり、2002年と2004年より土地、建物を勝山市が管理する。
大仏と大仏殿は清大寺が管理し、敷地内の土地や五重塔などの建物は公売に出されたが、2009年7月で最低価格を下げての4度目の入札を行ったが、いまだ買い手は見つかっていない。(ウィキペディア)

天守より白山方面を望む。

ちなみに多田さんは1991年に亡くなったそうで、勝山城博物館の完成を見ることは出来なかったようです。

一方、本物の勝山城はどうかというと、戦国時代の天正8年(1580年)に柴田勝家の一族である柴田勝安によって築城された。

江戸時代に入ると、慶長6年(1601年)福井に封じられた結城秀康の支配するところとなるが、寛永元年(1624年)松平直基が3万石をもって封じられると、勝山藩の藩庁が置かれた。

その後、松平直良が入るが、正保元年(1644年)直良が移封されると廃城となり、勝山の地は天領となった時期もあった。

元禄4年(1691年)に小笠原貞信が2万2千石で勝山の地に封じられ、以後明治維新まで小笠原氏8代がこの地を治めた。

宝永5年(1708年)には、城址への築城許可が下り、7代藩主小笠原長貴の代に完成を見た。

文政5年(1822年)に、本丸より出火し、門、高塀、土蔵を残して焼失したが、文政9年(1826年)に再建された。

明治維新後、勝山城は廃城となり、建物は次々と取り壊されています。

現在の市役所付近が城跡中心部で、市役所と公民館あたりが本丸であり、市役所前の道路付近に堀がありましたが、今は跡形もありません。

天守台や石垣が昭和40年まで残っていましたが、市民会館建設に伴い取り壊されています。

勝山城博物館へのアクセス、行き方歩き方

福井県勝山市平泉寺町平泉寺85-26-1
電話0779-88-6200

JR福井駅からえちぜん鉄道勝山永平寺線で勝山駅下車
勝山駅からは市内循環バスか「大矢谷」行きバスで「平泉寺荘前」下車