本福寺水御堂


平安時代後期に建立されたと伝えられる真言宗御室派の寺院で淡路四国第五十九番霊場。

境内からは大阪湾が一望できます。
コンクリート造りのモダンな外観の水御堂は、世界的現代建築家 安藤忠雄氏の設計によるもの。

本堂屋根を兼ねる蓮池には紅白などのスイレンのほか、約2000年前の地層から発見された大賀ハスが浮かび、開花の時期には神秘に水面を彩る。

本寺院でユニークなのは、「水御堂」(みずみどう)とよばれる本堂であり、1991年竣工の安藤忠雄設計による鉄筋コンクリート造の寺院建築である。

権力の象徴である大屋根がなく替わりにハスの花が咲く水盤があり、その中へ入る構造になっている。
第34回建築業協会賞を受賞している。

本堂への階段。

小さなお寺に観光バスがひっきりなしに訪れ異様な雰囲気です。
静かにお参りするという雰囲気はどこかへ。

本尊は薬師如来像。
本尊の背後が西方にあたり、大扉を開け放てば内部に光が立ち込め、本尊を朱に染め上げ極楽浄土が出現するという演出がなされ、同じ兵庫県の小野市にある重源作の浄土寺の手法を踏襲したもの。

仏像裏側にもこれと同様の格子が用いられ、西日が入る構造になっている。
小野の浄土寺の重源にヒントを得たものである。

堂内は撮影禁止になっており状況を伝えられず残念。

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奇跡の星の植物園


淡路夢舞台温室『奇跡の星の植物館』は建築家・安藤忠雄氏が設計した国内最大級の温室植物園で、どの季節に訪れても『花緑とアート』が融合した魅力的な空間を楽しめます。

8つの展示室では、花・緑と水と音楽に包まれ、季節やテーマごとに繰り広げられるフラワーショーや、花と緑のある暮らしの中のガーデニング、各種教室を楽しめる。

2000年3月18日に開館した。展示温室の延床面積は6,700m2で、咲くやこの花館(6,900m2)に次ぐ日本第2の規模。

天井の高さがスケール感をさらに増している。館内は「共生文化ゾーン」と「花と緑の暮らしゾーン」で構成される。

展示室1 「ブランツギャラリー」 – 多肉植物とオブジェのドライガーデン

画像はフルクラエアギガンティア。

エアプランツのコーナー.

展示室2 「トロピカルガーデン」 – サマーガーデン。

画像はゴクラクチョウカ。

“感動創造”をメインテーマとする、芸術と緑花を融合させた新しいタイプの展示空間である。

花と緑のある暮らし花と緑のある暮らし、地域性と伝統性を活かしたガーデンを提案するスペースです。

2004年から江戸のガーデニングをテーマに、江戸の花文化を伝えています。

タカノハススキ、和のムード。

松の展示。

女郎花。

また、兵庫県をはじめ、全国のボランティグループや一般の方々にガーデニングを体験学習していただきながら、共に展示を行っていく場ともなります。

春にはツバキ、スミレ、初夏にはショウブ、秋には菊を取り上げています。

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淡路夢舞台


淡路島の東岸、海を望む高台にある。

国際会議場やリゾートホテル、野外劇場、植物園等の施設が点在する敷地内は、百段苑をはじめ複数の個性的な庭園が存在し、それらは遊歩道やデッキなどで結ばれ、全体が回遊式庭園の構造となっている。

建築家・安藤忠雄の代表作であり、2000年に開催された、国際園芸・造園博「ジャパンフローラ2000」の会場になった。

隣接する国営明石海峡公園(淡路地区)、兵庫県立淡路島公園、あわじ交流の翼港などと共に、淡路島国際公園都市を構成する。

このホタテ貝の貝殻は、北海道の水産加工場で捨てられていたものをもらってきてリサイクルしました。

1枚ずつ職人の手で敷き詰められたホタテ貝の貝殻の数は100万枚。

百段苑へ向かう。

「百段苑」(ひゃくだんえん)は山の斜面に沿って100個もの花壇を階段状にした庭園で、安藤忠雄が阪神淡路大震災被災者への「祈りの庭」として設計されたもの。

ブロックごとに「海に祈る庭」「収穫の庭」「淡路メドウガーデン」とコンセプトが分かれています。また百段苑のある高台からは大阪湾を眼下に見られ、その眺望も壮観。

海を望む一枚の斜面地に百区画の花壇と立体迷路状の階段で構成される。

イタリア式庭園の幾何学的な部分を洗練した一つの到達した形ある。
花壇には世界のキク科植物が植栽されている。

円形フォーラムは、淡路夢舞台施設群の中心に位置します。

直径約32m、高さ約11mの円空間を囲むスロープを歩いて行くと、壁の窓から切り取られた風景が覗けたり、空や海や風を感じることができます。

壁の窓から切り取られた風景が覗ける。

楕円フォーラムは「海回廊」と「山回廊」を結ぶ扇の要のような位置にあります。

直径約50メートル、高さ約17メートルの楕円空間は、イベント会場にもなります。
壁には日時計が取り付けられています。

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海の教会


ウェスティンホテル淡路で行われるご婚礼のための祝祭空間として、ホテル脇に広がる『貝の浜』に設置されています。

チャペル内部は立方形となっており、天井面に切り取られた十字状のスリットを通してやわらかな光が人々を包む仕掛けとなっています。

天からの光が十字架を描き出す「海の教会」は、世界的建築家・安藤忠雄氏による設計。

海と空が一望できる開放的なブライダルホールでは、美しいカリヨン(鐘)の音色とフラワーシャワーによる祝福がおふたりを待っています。

安藤忠雄氏が建設した教会は日本では4つ。

三大教会シリーズには入っていませんが、、、入っていない一つがこの「海の教会」になります。

淡路島の北東部にある『淡路夢舞台』は、世界に名を馳せる建築家・安藤忠雄氏によって設計された複合型リゾート施設。

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兵庫県立美術館 Ando Galleary


同美術館は1995年に起きた阪神・淡路大震災の復興事業として計画され、安藤忠雄さんの設計で2002年にオープン。

館内の一角に安藤さんの建築作品を紹介する小さなギャラリーがあったが、新たに独立した建物として、既存の展示棟・ギャラリー棟の間に鉄骨造り3階建て(建築面積87.82㎡、延床面積614.74㎡)の建物を建てた。

約5億2000万円の設計・施工費用は安藤さんの事務所(安藤忠雄建築研究所)が全額負担し、2018年1~8月に施工。2018年9月1日付で県に寄贈された。
観覧料は無料。

Ando Gallearyには安藤作品の代表作の模型が展示されている。

画像中央部分が増設されたAndo Galleary。

デザイナーのコシノヒロコさんの住宅「小篠邸」。

兵庫県内にある安藤さんの代表作「六甲の集合住宅」(神戸市)。

屋外オブジェ『青りんご』(海のデッキ(既設部分))
米国の詩人・サムエル・ウルマンの詩「青春」をモチーフに安藤忠雄氏がデザインしたオブジェ。

建物の中から海を臨む。前方の「海のテラス」には安藤さんがデザインした「青りんご」が置かれた。

安藤さんは、近代米国の詩人サミュエル・ウルマンが70代で作った「青春の詩」からオブジェを着想。

詩は「青春とは人生のある期間ではない。

心のありようなのだ」「希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」などとつづられ、安藤さんは「目指すは甘く実った赤リンゴではない。

未熟で酸っぱくとも明日への希望へ満ち溢れた青りんごの精神」との言葉を寄せている。

ヤノベケンジ氏のオブジェ「Sun Sister」

ジョージ・リッキー「上を向いた 2本の線 30フィート」

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鉄人28号と三国志の街 新長田


ケミカルシューズの街を象徴するモニュメント、長田の復興を願って。

ふれあい花壇の中のモニュメント。

新長田の駅を出て西側の道路を少し行くと、新長田1番街 TETSUJIN STREETが見えてきます。

どうして神戸新長田が三国志の街になったのか。

それはですね、あの「三国志」で有名な漫画家である横山光輝先生の生地が神戸市長田区なんです。

鉄人街灯。

JR新長田駅南側、若松公園内に設置されている、直立時の設定が18mにも及ぶ「鉄人28号」の巨大モニュメント。

神戸出身の漫画家、故・横山光輝さんの1956年の作品「鉄人28号」に登場するキャラクターを再現したもの。

三国志等身大石像
「関羽(かんう)」(アスタくにづか4番館前)

新長田南地区商店街内に張り巡らされた横山光輝「三国志」のバナーの武将登場人数は128人!総数200枚。
歩きながらお気に入りの武将を探すのも楽しみのひとつ。

張飛と馬超の葭萌関戦い

魏呉蜀の三国鼎立が定まる前夜、確たる領土を持たなかった劉備が成都の太守劉璋(りゅうしょう)の求めをうけ漢中の張魯(ちょうろ)の南下に対して援軍として出撃します。

成都進出への足がかりを作りました。当時、曹操に破れ張魯のもとにいた馬超は劉備軍と戦います。

張飛と馬超は決着がつかず馬超の勇姿を惜しんだ劉備の仲立ちもあり、その後馬超は劉備の下に身を寄せます。

以後、張飛・馬超は蜀の五虎将軍のひとりとなります。

張飛と馬超の葭萌関戦いのフィギュアもあります。

六間道五丁目商店街には、魏武帝廟と三国志館もあります。魏武帝廟内には、4匹の馬に曳かれる馬車に乗った勇ましい曹操の像が。

六間道の三国志なごみサロンの前には関羽の像。

三国志等身大石像「周瑜(しゅうゆ)」(六間道・市営地下鉄駒ヶ林駅入口前)

ビル壁面に描かれた諸葛孔明ブロンズ像の「司馬懿(しばい)」(二葉町4丁目)

三国志の戦闘場面と西遊記のフィギュァ。

三国志と居酒屋水滸伝のフィギァ

地下鉄の改札内連絡通路の壁面には原寸大の鉄人28号のパネルが。

三国志とはこの三国の時代のことを叙述した歴史書が、次世代の西晋に仕えた陳寿(233年 – 297年。元、蜀の家臣)によって『三国志』と名づけられた事に由来します。

その後、唐・宋・元の時代にわたってこの歴史書『三国志』に基づいて、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の前後の時代も含めて、民間伝承などを加えて三国争覇の時代小説として巷間を賑わし、その説話を基にして、明代初期に羅貫中たちが取りまとめ、それが『三国志演義』として成立したのです。

三国志ブロンズ像 「呂布(りょふ)」(アグロ・ガーデンの入口)

大正筋商店街の南端に建つ、等身大、呉の皇帝『孫権』の石像があります。
試剣石を斬った跡をイメージしています。

ジョイプラザの南西角の、新谷英夫《愛》(1983.9.23設置)。神戸長田ライオンズクラブの寄贈。

とにかく退屈しない街です。

楽しそうな催しもあるようだ。

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西日本一の規模を誇る 神戸市立森林植物園のアジサイ


神戸市立森林植物園は三宮から40分ほどの六甲の裏側にある、甲子園球場約36個分の広大な森に咲くあじさいが、初夏の訪れを告げるように約350品種5万株の色彩やかな美しい花々を咲かせます。

これだけのあじさいのスケールは西日本で一番とも言われ、あじさいが咲き誇る季節になりますと、県内外から毎年多くの見物客が訪れるあじさい名所です。

公園正面から続く「あじさい坂」の両側には所狭しとヒメアジサイが美しい花を咲かせます。

六甲山地はあじさいの生育に適したいくつかの条件を備えているといわれています。

六甲山地は海に近く、海風が吹いて水分が入り込みやすい環境です。

三宮などの市街地では晴れていても、山中では雨が降っていたり霧やもやがかかることがよくあります。

「あじさい」とは、アジサイ科に属する植物です。

以前は花の構造などからユキノシタ科アジサイ属に分類されていましたが、DNA構造の解析技術が進んで進化の過程が明らかになるにつれて、アジサイ科として独立させるようになりました。

シーボルトは数ある植物の中でも日本の植物であるアジサイを愛したようで、彼の著書『日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』には、彼が日本で知り合った「オタキさん」という女性の名前からつけられたといわれる「Hydrangea otaksa(ハイドランジア オタクサ)」という学名でアジサイが紹介されています。

ただ、アジサイの学名はシーボルトが命名する以前に「Hydrangea macrophylla (ハイドランジア マクロフィラ)」という名前で発表されていたのでオタクサの名前は認められませんでした。

ちなみに、ハイドランジアは「水の器・水瓶(果実の形が水瓶に似ていることから)」マクロフィラは「大きな葉っぱ」という意味です。

大きな葉をして、水を好むアジサイにぴったりの名前ですね。

ところで開花時期は、5月終わりから6月初旬に咲き始め、6月中旬から下旬にかけまして見ごろを迎えます。

シチダンカの見ごろは6月中旬から下旬、園内の西洋あじさい園に咲く濃いブルースカイの色の彩やかさが美しいクロヒメアジサイは6月下旬から7月上旬が見ごろとなります。

ヒメアジサイ

昭和のはじめ、牧野富太郎博士が植物の採集旅行の際、このあじさいを信越地方で見つけ、その優美な姿から「ヒメアジサイ」と名付けられました。

ホンアジサイとエゾアジサイの交雑種であると考えられています。

手まり形の澄んだ青い花をつけますが、その花房はごつごつした形状になることが多いようです。
形が変わっていく過程でハート形になる時がある。

シチダンカ(七段花)

六甲山の特産種。シーボルトが「日本植物誌」で紹介して以来、日本人のだれもがその実物を見た人がなく、”幻のアジサイ”とよばれて長い間さがしつづけられていました。

1959年(昭和34年)に六甲山系内で「再」発見されました。
装飾花が八重咲きとなり、各がく片が剣状に尖りきれいに重なって星状に見えるのが特徴です。

スミダノハナビ(アジサイ) [墨田の花火]

特徴は、周りの装飾花が八重になっていることである。

装飾花は白から次第に青色がほのかに入る。
花火のように星形の花が飛び出すような形をしている。

キヨスミサワアジサイ(清澄山)

千葉県の清澄山が原産。ヤマアジサイの変種。
よく枝が伸び、直上する傾向がある。

ガク咲きで装飾花の白いガク片の縁に紅色の斑が入り非常に美しい。
また性質が健丈なため、園芸品種の母種となることが多い。

ベニガク

コガクウツギに同じであるが、花の色が初め白色、次に淡紅、最後に紅色となり七変化と云い、額花中随一のものである。

剣の舞

徳島県剣山系産の八重咲きのヤマアジサイ。

別名、剣山八重。花色は薄青色でガク片は細いへら弁になります。
また、茎や葉柄が赤紫色をしています。

みやまやえむらさき (美山八重紫)

京都府北部の美山町「堀越峠」に自生しています。
「ヤマアジサイ」の一品種で、八重咲きなのが特徴です。

5月下旬から6月下旬に、鮮やかな青紫色の花を咲かせます。

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近松の里


JR尼崎駅より北へ約2キロメートルにある広済寺、近松の墓、近松記念館、近松公園周辺を「近松の里」と名づけ、歴史と文化がふれあう魅力あるゾーンとして整備されている。

近松公園は約2ヘクタールに池や、せせらぎなどを配した回遊式の日本庭園で、四季折々の風情が楽しめます。

公園には珍しい品種のアジサイが咲いていました。

近松銅像

近松門左衛門の50代の油ののりきった時代を、資料をもとに、二 紀会の彫刻家 故村上炳人(へいじん)さんが創作した「近松のま ち・あまがさき」のシンボル像。

広済寺(こうさいじ)

多田満仲が957年に勧請したと伝えられ、正徳年間(1711~ 1716)日昌上人が再建。

近松は日昌上人と親交があり、再興にも 力をかす。
その後も、度々同寺を訪れ「近松座敷」で執筆したと言 われています。

近松門左衛門の墓

広済寺の境内にあり、墓石は高さ約48cm程の緑泥片岩の自然 石で表に近松門左衛門と妻の戒名が、裏には没年月日が刻まれ ています。
昭和41年(1966年)9月に国の史跡に指定。

そうりんし【巣林子】は近松門左衛門の号。

伊居太(いこた)神社 (伊居太古墳)

古墳時代中期の前方後円墳で全長約92m、市内に残る古墳の中 では最大の規模。
現在は伊古太神社の境内にあり、原形を失っ ているが、わずかに面影をとどめています。

近松の墓はなぜ二つあるのか。

近松門左衛門は1653年(承応2年)の生まれで(出生地については諸説あり)、本名は杉森信盛、幼名は次郎吉といい、越前・吉江藩士杉森市左衛門信義の次男として誕生する。

元禄年間を中心として、貞享~享保と約40年間にわたり劇作家として活躍し、1724年(享保9年)に72歳で没した。

まず法妙寺のお墓ですが、近松門左衛門の妻が深く関わっています。
法妙寺は妻の生家の菩提寺だったと言われています。
近松門左衛門と法妙寺には直接の関連性はないものの、妻の菩提寺という関係からお墓が建てられたのではないかと考えられています。

次に広済寺のお墓についてです。
広済寺は日昌上人によって開かれたお寺です。
近松門左衛門は日昌上人に深く帰依しており、広済寺との関係は深かったと言われています。

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フォトジェニックな一枚を 阪神電鉄尼崎レンガ倉庫


尼崎城が完成、より一層賑わいを見せる阪神尼崎駅周辺。

そんな中、同じエリアに悠然とたたずむ「阪神電鉄 尼崎レンガ倉庫」。

隠れインスタ映えスポットとしてマニアの注目を集めている。

古くは火力発電所として使用されていた建物。現在は鉄道関係の倉庫として利用されています。赤レンガの趣ある雰囲気が歴史を感じさせます。

阪神電気鉄道が開業した当時、この尼崎発電所と御影発電所で発電された電気を電車の走行に使用していたほか、沿線で一般にも配電していた。
現在は資材倉庫として利用されている。

尼崎市のまちかどチャーミング賞をもらっています。

波打つガラスがレトロ感を感じさせる。

尼崎城天守から一枚。

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平成最後の城 尼崎城


尼崎城は、大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築かれた城で、尼崎城に直接船が横付けできたことから、海に浮かんだような城であったと言われている。

元和3年(1617年)、戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し築いた。3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓が上げられた。

城主は、築城から廃城まで3氏12代が入れ替わった。

戸田氏の後は、青山氏4代、そして正徳元年(1711年)桜井松平家の松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、以後桜井松平家の支配が7代と続き幕末を迎えた。
最後の藩主は松平忠興。

ミドリ電化(現在のエディオン)創業者の安保詮(あぼ-あきら)さんが「創業の地に恩返ししたい」と、約10億円の私財を投じて、尼崎城の天守を再建。

もとの場所ではありませんが、現在の尼崎城址公園にその天守が建てられています。

天守から西を望む、寺町の屋根も見える。

桜井神社、旧社格は郷社。
庄下川東岸に位置。

正徳元年(1711年)の転封から幕末まで尼崎藩を治めた桜井松平家(松平氏、明治以降は桜井氏に改姓)の、初代信定から16代忠興までを祀る。

創建は1882年(明治15年)に、旧藩士の有志が歴代藩主の遺徳を偲び、旧尼崎城の西大手橋東詰に建立した。

その後1961年(昭和36年)に国道43号線敷設のため現在地に遷宮したが、本殿及び拝殿は建立当時のものである。

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