メリケンパーク

神戸港事業の一つとして、1987年(昭和62年)にかつてのメリケン波止場と神戸ポートタワーが建つ中突堤の間を埋め立てて造成された。

そこに神戸海洋博物館、ホテルオークラなどが建設されて、現在においては神戸港を代表する景観の一つとなっている。

北側には1987年(昭和62年)に著名建築家フランク・ゲーリー作の「フィッシュ・ダンス」という開港120周年を記念するオブジェが設けられ、中央芝生には1990年(平成2年)に第1回神戸ファッションフェスティバルを記念する鐘楼「オルタンシアの鐘」が設置された。

東側の一画には、1995年(平成7年)の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で崩壊したメリケン波止場をあえて復旧せずそのまま残して、1997年(平成9年)に神戸港震災メモリアルパークとして整備され、震災の貴重な記録が保存されている。

メリケンパーク入り口近くにある像「ローマの公園」

神戸海軍操練所は江戸時代・文久3年(1863)3月、幕府海軍奉行並であった勝海舟は「この村に海軍の仕官育成の機関を建設したい。」と将軍家茂に直談判。

これにより幕府が神戸に海軍操練所を設立。

操練所は幕臣たちが学ぶ海軍の養成機関です。

これに隣接し、諸藩の志士を集めた「神戸海軍塾(勝塾)」が設置された。

勝海舟に見出され、塾頭として入所し操船術を学んでいたのが坂本竜馬。

2年後の慶応元年(1865)に海舟更迭とともに神戸海軍操練所は閉鎖。

明治に入り、海軍操練所跡は税関に変わり、神戸港の発展が始まります。

現在の神戸市中央区新港町周辺にあったと言われており、京橋筋南詰には神戸海軍操練所跡碑 が建てられています。

メリケンパーク内には神戸海援隊の碑が海に向かって建っています。

1987年5月.シアトル港より姉妹提携20周年を記念して神戸港に贈られた。

白頭鷲(アメリカの国章)と、紅鮭(シアトル地方に多く生息)をあしらったもの。

メリケンパークの入り口にあります。

フィッシュ・ダンスは、神戸港のメリケンパークに建つ高さ22mの巨大な鯉のオブジェ。

1987年(昭和62年)に神戸開港120年を記念して設置された。
世界的建築家フランク・ゲーリーが設計を、同じく安藤忠雄が監修を担当した芸術作品。

亜鉛メッキ製金網の表面に赤錆が発生したことで、1999年(平成11年)に一般社団法人神戸港振興協会が錆対策のためにとシルバーからピンクに塗り替えたが、「作品への侮辱」と建築家らからの批判を受け、2005年(平成17年)に竣工当時のシルバーに戻した。

別名「KOBE FISH」。
全体を表現する金網は奥谷金網製作所が手掛けた。

この場所は鯉川の川尻に当たり、鯉が踊っている姿をモチーフにしている。

隣に「フィッシュダンスホール」という多目的ホールが同時に建てられ、現在は「フィッシュダンスカフェ&ホール」となっている。

多目的ホールは社団法人一般社団法人神戸港振興協会が運営する「フィッシュダンス音楽練習場」として利用されている。

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外国人旧居留地 15番館界隈


神戸市立博物館

神戸市立南蛮美術館と神戸市立考古館が統合し、1982年(昭和57年)に開館した。

「国際文化交流-東西文化の接触と変容」を基本テーマとし、国宝を含む考古学資料や古地図、「聖フランシスコ・ザビエル像」や「織田信長像」、「豊臣秀吉像」といった著名な美術品、および金山平三や小磯良平ら神戸ゆかりの芸術家の作品等、約5万点を所蔵・展示している。

平成31年(2019)11月1日まで、工事のため休館中。

旧アメリカ合衆国領事館。

旧居留地に唯一現存する居留地時代(1868年~1899年)の建築物で、国の重要文化財にも指定されており、当時の街区境界の煉瓦塀や石柱などとともに保存されている。

重要文化財指定名称は「旧神戸居留地十五番館」。

開港場の都市基盤整備として外国人居留地に敷設された煉瓦造の下水渠で明治5年に竣工、近代下水渠としては横浜と並び国内最初期のもの。

下水渠は円型管(口径900mm、2条、延長計817.3m)及び卵型管(口径460×600mm、4条、1,072.6m)で、使用された煉瓦は兵庫県明石方面で焼成された国産品が用いられている。

明治14年頃に建設され、居留地時代に建てられた商館として唯一現存する旧居留地十五番館(重要文化財)の東面道路に一部が現存しており、そのうち延長約90mの間は雨水幹線として現在も供用されている。

外国人居留地時代の標柱

現在の大丸百貨店の南あたりは安政5年(1858年)締結されたアメリカ合衆国をはじめとする5箇国との修好通商条約により設けられた外国人居留地の跡。

この標柱はその第15番館と第16番の区画の境界を表す石柱で、石柱の下部には1番と16番区を分ける表示が見て取れるとおり、当地区の歴史を語る貴重なもの。

商船三井ビルディング

旧居留地の南、海岸通に面して建つアメリカルネサンス様式のこのビルは渡辺節の設計、内藤多仲の構造設計によるもの。
竣工当時は数少ない7階建てという「高層ビル」であった。

東京の丸ビル(先代)、大阪市のダイビル(大阪ビルヂング)本館亡き今、大正期の大規模オフィスビルとして現存するものは本物件のみとなっている。

外観は1階部分がルスティカ仕上げの石積みで最上部に半円形のペディメントを有する意匠で、建物内部も欧米スタイルで統一され、天井が高く廊下が広い。

貨物用として1台のみ残されている手動式エレベーターは米国A.B.SEE社製、自動着床装置なしの完全手動駆動、扉は外扉が窓付き鋼製、籠扉が真鍮製伸縮扉(俗に蛇腹式という)、インジケーターも半円形時計式という創建時のスタイルそのままである。

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神戸ランプミュージアム

1999年に開館、館蔵品は旧「北野らんぷ博物館」から受け継いだ「赤木コレクション」を基礎とした。

館内のメインストリート「あかりのミュージアム・ウォーク」では、灯火器の貴重なコレクションを通じて、その変遷を時代とともに展覧できた。

運営していた関西電力の経営効率化の一環として2013年4月から2018年7月まで臨時休館となったが、2018年7月18日に新たな展示物を追加し、再開館した。

あかりと人の関わりを描いた昔話や童話をモチーフにしたディスプレイ。

画像は「つる女房」

「雪女」

「銀河鉄道の夜」

芝居小屋の灯り

フランスの工芸家エミール・ガレにまつわる展示もあり、アール・ヌーボー芸術のファンにも嬉しい内容になっている。


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外人居留地68番館 界隈


旧居留地は明治時代、貿易を中心に神戸で活躍した外国人たちが暮らした地区。

整然と区切られた通りでは「東洋一美しい」と讃えられた旧居留地の面影を、今でも感じることができます。

壁に大きな人の顔、ユニークだね。

ホテルビアマーレには「居留地倶楽部」なんてレストランもある。

京町筋沿いにあるイタリアの高級車ランボルギーニ神戸店の店頭前に外人居留地68番館の門柱を発見。

説明板には下記のように書かれていました

「外人居留地68番館の門柱

この地域一帯は慶応三年(一八六八年)十二月七日の兵庫開港によって設けられた外国人居留地の跡である。

京町68番地は明治二年(一八六九年)に競売されオランダ人ハルトマン・ヘルツが百坪当り二百一円二銭五厘で落札した地所である。

明治四年ごろには早くもれんが造りの倉庫が建てられていた。

この門柱は明治十五年ごろこの地に住んだエッチ・ショニングの住居前に建てられたものと推定される。

開港当時の外国商館の面影をしのばせる貴重な文化遺産としてここに保存するものである。
 昭和四十六年八月 
    神戸市長 宮崎辰雄」

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神戸旧居留地 38番館


神戸外国人居留地は、安政五カ国条約に基づき、1868年1月1日(慶応3年12月7日)から1899年(明治32年)7月16日までの間、兵庫津の約3.5 km東に位置する神戸村(後の兵庫県神戸市中央区)に設けられた外国人居留地。

神戸居留地ともいう。

旧居留地38番館は、兵庫県神戸市中央区の旧居留地にある歴史的建造物。

名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味する。

百貨店の大丸(現大丸松坂屋百貨店)が所有し、北側と西側に隣接する大丸神戸店の倉庫として使われていた。

現在では、建築の価値を生かして店舗の一部として用いられている。

1980年代、旧居留地が「最も神戸らしい街」に再生するきっかけとなる象徴的な建物の一つでもある。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で1929年にシティバンク神戸支店として建設された。

1階をシティバンクが使用、2階には独逸染料、バイエル薬品が入居、3階に帝国酸素が入居していた。

その後2階のドイツ系2社が退去し、2階、3階を帝国酸素が使用した。

南側正面に4本のイオニア式円柱と東側面に7本の壁柱および石積み外壁等の石造意匠を有したアメリカン・ルネッサンス様式の近代建築。

仲町通りに面して大正時代築の外壁が残されている神戸大丸百貨店2号館・3号館と隣接しており、それらとともに100mにわたるクラシカルな外観で統一された街区を形成する。

夜間は日没から22時までライトアップされる。

1868年(明治元年)から1899年(明治32年)の返還までに、外国人に126区画に分けて競売された治外法権の場所であった。

やがて、居留地の外国人が山手に住居を構えるようになったのが、北野異人館街である。

当時、条約の未締結国であった清国から神戸に渡ってきた華僑は、居留地には住むことができず、その西側に多く住み着き、南京町といった中華街を築いていった。

居留地に対してこれら西側のエリアを雑居地といった。

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神戸ハーバーランド


1982年(昭和57年)11月に貨物駅としての営業を終了した旧国鉄の湊川貨物駅や、川崎製鉄(現在のJFEホールディングス)・川崎重工業といった沿岸一帯の工場の跡地約23ha(ヘクタール)を1985年(昭和60年)、再開発に着手し、1992年(平成4年)9月に街開きした市街地。

東端は大阪湾に面し、従来工場や倉庫など港湾施設で占拠されていて一般市民が近づけなかった臨海部を市民に開放する狙いを持ったウォーターフロントが開発された。

当時、政府が奨励していた民間活力導入の方針に沿って神戸市が購入した土地で民間企業が事業を展開する方式で開発が進められ、総事業費は神戸市と民間企業合せて3000億円以上に上った。

1981年(昭和56年)に竣工されたポートアイランドと並ぶ臨海部の都心的な開発事例である。

対岸のメリケンパーク側に神戸ポートタワーや神戸海洋博物館といった観光施設が揃うのに対し、ハーバーランド側には神戸モザイクなどの複合商業施設が林立し、顧客の獲得競争が日々繰り広げられている。

これらは主にハーバーランド全体の東側に集中しており、住宅街は当初は西側が中心となっていた(神戸市内の他の郊外型ニュータウンと同様の構成)。

神戸モザイクからポートタワー・六甲山方面を望む。

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神戸港の歴史


平安時代の末期、平清盛は、当時、大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれた兵庫の港で中国(宋)との貿易を行いました。

また、治承4年(1180)には、わずか半年間ではありますが、京都から現在の兵庫区北部地域に都を遷しました。

大輪田泊、清盛が工事を監督する姿がジオラマになっている。

古代大輪田泊の石椋 遥かな昔の港をしのぶ
わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた … 続きを読む →


千数百年の昔から天然の良港として栄え、中国大陸や朝鮮半島との交易の窓口として、また瀬戸内の海の要衝として、歴史上重要な役割を果たして来た

“船たで”とは航海が終ると船底を燻焼したものだが、それから転じて船の修理を意味する事になり「船たで場」は各地の湊々にあり、江戸時代は巨船の上架のため石畳が海中まで敷きつめられるなど諸設備がされていた。

そして修理工場はたで場の船大工が行ったものだ。

網屋 吉兵衛(あみや きちべえ、1785年(天明5年)- 1869年(明治2年)9月5日)は、日本の呉服商。

私財を投じて神戸村安永新田浜の入江に船蓼場(フナクイムシを駆除するための乾ドック)を建設したことで知られ、神戸港築港の先駆者とされる。

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カワサキワールド


カワサキワールド(英字表記Kawasaki Good Times World)は、川崎重工業が2006年(平成18年)5月17日に神戸海洋博物館内に設置した企業博物館。

カワサキワールド内での写真撮影は全面許可されている。

入ってすぐにあるコーナーで、川崎重工の創業者である川崎正蔵と松方幸次郎を紹介する。

同社の誕生の歴史や松方の収集した美術品コレクションである「松方コレクション」の概要、さらには神戸の歴史まで紹介している。

KV-107 II型ヘリコプター(JA9555 川崎重工業社用機「美濃」)の現物を設置。
これも中に入ることができる。
フライトシミュレーターも設置されており、神戸空港からの離着陸も体験できる。

歴代のモーターサイクルを実物で紹介している。
実際に触ったり乗ったりできる物も用意されている。
ベストセラーになったものもある。

Kawasakiの歴代マシン、レース車など、数多くの実車を展示。

また、実際に触ったりまたがったりできる体験コーナーに加えて、サーキットを模擬走行できるライディングシミュレーター「RidEX(ライデックス)」もあります。

川崎造船が扱っている船舶の製造方法から進水式までの様子を放映していたり、水上バイクのシミュレーターゲームも用意されている。

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神戸海洋博物館


前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館。
海事博物館としては世界有数の規模であり、1987年に神戸港開港120年を記念して開館した。

波または帆船の帆をイメージさせる独特な外観の屋上構造物は白色のフレームでできており、六甲山の緑色、神戸ポートタワーの赤色との対比が美しい。

夜間は青系の光でライトアップされる。

壁面に広がる陶板による船の変遷や近代神戸港の開港を号砲で祝った、イギリス軍艦ロドニー号の巨大な模型が、海・船・港の歴史の旅へと誘います。

日本丸 (初代)

1930年(昭和5年)1月27日、兵庫県神戸市の川崎造船所で進水。
その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた。

日本丸は約半世紀にわたり活躍し、1984年(昭和59年)に引退。
航海練習船としての役割は日本丸II世が引き継いだ。

姉妹船として海王丸がある。
2017年(平成29年)9月に国の重要文化財に指定された。

日本丸 (2代)

初代日本丸の後継として、1984年(昭和59年)に日本丸II世が就航した。

日本丸II世は帆装艤装設計から製作まで、すべて日本国内で行われた初の大型帆船。
住友重機械工業浦賀工場で建造された。

先代の日本丸に比べて帆走性能が大幅に向上しており、世界でも有数の高速帆船として名をつらねている。

その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1986年(昭和61年)、1989年(平成元年)、1993年(平成5年)と三回受賞している。

練習船ダンマルク

デンマーク通産省所属、商戦の士官を要請する目的で建造された3本マストのフルリグドシップ型鋼船。

サンタ・マリア号(サンタ・マリアごう、西: La Santa Maria de la Inmaculada Concepcion)は、1492年、クリストファー・コロンブスによる初の大西洋横断航海のときに使われた3隻の帆船のうちの最大の船。

船名はスペイン語で「処女降誕聖マリア」を意味する。
なお、当初は「マリガランテ(娼婦)号」という名であったが、新航路発見の旅路にふさわしくないとコロンブスの意見によりサンタマリアに改名された経緯がある。

武装はボンパルダ(射石砲/臼砲)やデミ・カルバリン砲などを2-4門装備していたらしいが、正確な数は不明。

更にブルワーク上に6門程度の旋回砲も設置されていた。

パールシップ神戸

日本で最も古い帆船の一つ、北海道大学の練習船「忍路(おしょろ)丸」の模型に、真珠などの装飾を施したもの。

しんかい2000は、海洋科学技術センター(現: 海洋研究開発機構)が所有、運用していた有人潜水調査船。

日本初の有人深海調査船「しんかい」の後継機として三菱重工神戸造船所で製作、1981年に完成し、2002年11月まで運航された。

現在では新江ノ島水族館で動態保存・展示されている。

みらいへ
1993年に「あこがれ」として就航、大阪市が保有して大阪南港の「ATCオズ岸壁」を定係地として「セイル・トレーニング事業」に使用していた。
一般市民が航海を体験できた日本で唯一の帆船(スクーナー)であった。
船名は一般公募で選ばれた。

基本的には大阪南港を母港として運航を行っていたが、長崎帆船まつりなど各地や日本国外でのイベントにも参加することもあった。

2011年に大阪市長に就任した橋下徹による一連の市政改革の一環により、2012年末をもって運航を終了、「セイル・トレーニング事業」も同年度末をもって廃止された。

その後、船舶は競売に掛けられ、個人に売却された。

これに対しては有識者による憂慮の意図も含めた「MJCマリン大賞」(マリンジャーナリスト会議が主催、2013年3月)の授与がなされたほか、主に高校生の人材育成を目的とした航海を行うため同船を取得する構想もあったが実現しなかった。

売却された「あこがれ」は2014年7月5日から、船名を「みらいへ」に変え、神戸港を母港に体験航海事業を再開している。

コンスティチューション(USS Constitution)、愛称: オールド・アイアンサイズ(Old Ironsides)は、アメリカ海軍の木造船殻、3本マスト、砲数44門のフリゲート。

名前はアメリカ合衆国憲法(United States Constitution)から採られており、世界の航行可能な就役艦船で最古、かつアメリカ海軍の現役艦である。

笠戸丸(かさとまる、Kasato Maru)は、明治時代後期から終戦にかけて移民船や漁業工船などに使われた鋼製貨客船。

明治時代後期から昭和初期にかけて、外国航路や台湾航路用の船舶として用いられた。

ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われたことでもよく知られている(移民用としては、船底の貨物室を蚕棚のように2段に仕切って使用した。

最大1000人程度の移民を収容できたようである)。

その後漁業工船に改造され、漁業会社を転々とする。

最後は、貨客船として最初に籍を置いた国であるロシア帝国の事実上の後継国にあたるソ連の手によって、太平洋戦争終結直前カムチャツカ沖で爆沈されるといった数奇な運命をたどった。

時代が下った1970年代に、北洋を航行する笠戸丸の姿が歌謡曲の歌詞に使われたこともある(『石狩挽歌』(なかにし礼作詞・浜圭介作曲。北原ミレイ唄、1975年)。

ゴンドラ (gondola)とは、ヴェネツィアの伝統的手漕ぎボートのこと。

ゴンドラは何世紀にも亘って、ヴェネツィアでの主な交通手段であり続けた。
現在も、カナル・グランデ(大水路)の岸と岸をつなぐ渡し船(トラゲット)として公共交通機関の役割を果たしている。

現在のゴンドラの数は200~300、そのほとんどは観光タクシーとして使われており、数艘がトラゲットや個人所有の舟である。

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神戸震災メモリアルパーク


神戸港のメリケンパークの一角に位置する。

1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で、メリケンパークも大きな被害を受けた。

大震災の教訓、港の重要性、日本国内外の多くの人が一体となって港の復旧・復興に努めた様子を後世に伝えようと、メリケンパークの岸壁の一部・約60メートルを、震災遺構として被災当時のままの状態で保存している。

近くには、休憩所を兼ねた展示スペースもあり、阪神・淡路大震災の記録写真パネルなど、当時の被害状況の資料が展示されている。

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