旧武藤山治邸


明治40年に鐘紡の中興の祖と言われ、衆議院議員として活躍した武藤山治が舞子海岸に建てた住宅を再現した西洋館。

オリジナルの建物は洋館に和館がくっついた和洋折衷の建物だったが、今の場所には洋館のみ移築されている。

ちなみに、当時、住人は普段は和館に住んでいて、来客時に洋館を使用していたという。

建造材の大部分や外装材の一部は新材で再現されているものの、建具や内装の仕上げ材は当初のものが使われている。

平成7年、幸いにも阪神大震災に解体中であったため、ステンドグラス・窓ガラス・暖炉・家具なども当時のものがそのまま残っている。

窓からは、明石海峡大橋や淡路島の美しい景色が楽しめます。

手を触れないでとかの注意書きがやたらと多い中では、それらの表示もほとんどなく気持ちよく見学できる。


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アジュール舞子の夕日

「アジュール舞子」という愛称は、一般公募によってつけられました。

フランス語でアジュール(azur)は「青」。

舞子海岸が南フランスのコートダジュールのような美しい砂浜に復元され、憩いとふれあいの海辺となるよう、期待を込めて名付けられました。

かつて「舞子の浜」と呼ばれた、白砂青松の景勝地を復元した海浜公園。

明石海峡大橋や淡路島を望む公園で、海釣りやバーベキュー、ウォーキングを楽しめます。

また夏には海水浴場となり、神戸市内にありながら水質の良い海で遊泳することができます。

明治天皇は舞子をこよなく愛され、1885年以来7回も行幸された。

当時は立派な料理旅館などが並んでおり、ひときわ立派な「亀屋旅館」(廃館)がよく御在所になったという。

松林の中に歌碑があり3首 刻まれている。

はりまがた 舞子の浜の はま松の
かけに遊びし 春をしぞ思う

はりまがた 舞子の浜に 旅寝して
見し夜こひしき 月の影かな

あしたつの 舞子の浜の 松原は
千代をやしなう  処なりけり

明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m、中央支間長1,991mの世界最大の吊橋です。

雄大な橋に向かって沈む夕日は素晴らしいものです。

海の色が素敵だと思いませんか?太陽の光を反射して、きらきら輝いています。

アジュール舞子は針の形のビューポイントが目印!

この「ピンホール(針穴)」の目印は、西宮市の建築家、岩橋翼さんがデザインしました。

高さは約170センチ、針穴の部分から景色をのぞいて楽しむこともできます。

江戸時代、「東海道五拾三次」を描いた安藤広重(1797~1858)は、「播磨舞子の浜」(口絵)で舞子浜の美しい海岸風景を描いています。

また、志賀直哉(1883~1971)は「暗夜行路」のなかで、「塩屋、舞子の海岸は美しかった。

夕ばえを映した夕なぎの海に・・」と舞子浜の様子を描いています。

大阪湾と瀬戸内海を繋ぐ明石海峡は、海峡の幅が約4km、最大水深は約110m、海峡を流れる潮流の速さは最大で毎秒4.5m(約9ノット)に達します。

肉眼で泳ぐ魚も確認することができる、アジュール舞子の海は、水質調査が開始された平成17年から13年連続で最高ランクの透明度である「全透(1m以上)」と判定されています。


そろそろブルーモーメントの始まりです。

沖をシティライントラベル 1便の船が新門司へ向かっています。

幾度もこの海峡は船で通過しました船旅をご覧ください

孫文記念んがシルエットで浮かびます。

すっかり陽も落ちました、そろそろ家路へ。

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北野異人館 風見鶏の館


実業家で政治家の山縣勝見が戦前、自らの会社である新日本汽船の名義で館を購入し、のちに山縣記念財団の所有となり研究室が置かれたが、1968年に神戸中華同文学校に売却した。

以前の訪問記
風見鶏の館
1904年(明治37年)にドイツ人貿易商の住宅として建てられた西洋館(異人館)で … 続きを読む →


山縣の長男と隣家の萌黄の館の小林家(神戸電鉄社長)の娘はのちに結婚している。

元ハンターシャープ氏の邸宅 萌黄の館
この建物はその色から「白い異人館」と呼ばれていたが1989年に、1987年からの … 続きを読む →


トーマス家では1914年(大正3年)、一人娘のエルゼ・トーマスをドイツ本国の上級学校に進学させるために、休暇を兼ねて一家三人でドイツへ一時帰国中だった。

その時勃発した日独戦争(第一次世界大戦)により日独が戦争状態に陥り、結果、一家は神戸の自邸への帰還ができなくなるという悲劇が起きた。

トーマス家では、館は敵性資産として没収されたと伝えられていたが、登記簿上では、戦争中に売買された形にされている。

1995年、阪神大震災でほぼ全壊するという大きな被害を受け、1年8か月かけて修復工事が行われた。

元の建材を70%以上使用して再建されたことで、重要文化財指定は取り消されずに済んだ。

玄関の北側にある書斎へと進みます。五角形の窓から降り注ぐ光の中、当時この館で使用されていた椅子とテーブルが飾られています。

窓の外は北野異人館街、神戸市買いが見渡せます。

窓からのぞくと像があります。

楽器を手にした野外彫刻(ブロンズ)が特徴の黒川晃彦氏の作品。

兵庫県神戸市中央区の神戸北野異人館の北野町広場には多数の作品が設置されています。

「風見鶏の館」の前でコルネットを吹く人がいます。

「コルネット吹きの休日」です。

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北野異人館 ラインの館


ラインの館(旧ドレウェル邸)は大正4年(1915年)にフランス生まれのJ.Rドレウェル夫人が58歳の時に建築され、大正9年(1920年)に亡くなるまでこの館で暮らしました。

元住人のオバーライン氏の故国ドイツのライン川と、壁面の下見板の美しい直線美にちなんで「ラインの館」と名付けられ、昭和55年(1980年)に神戸市認定伝統的建造物に認定されました。

大正初期の建築で、木造2階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドー、軒蛇腹、よろい戸など、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでいる建物です。

庭には蘇鉄や楠の大樹があり、心地よい緑陰をつくっています。

窓からは異人館の街並みを見られます。

光が差し込んできてとてもきれいな場所です。

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布引ハーブ園


ロープウェイ神戸夢風船に乗り10分で山頂駅に到着する。

そこから風の丘駅までの谷あいに、樹林に囲まれるようにして園路に沿って布引ハーブ園(香の庭園)が展開している。

西欧の生活の中に定着しているハーブ文化を神戸の地に根づかせる施設と位置付けられる。


ここはまだバラが健在だ。



園路には様々ペイントが施され見ていて楽しい、猫の足跡もかわいい。

ハーブを映し込んだモニュメント。


香りの庭園「グラスハウス」では様々な香り、ハーブが楽しめる。

バレンタイン発祥の地、イタリアのテルニ市より寄贈された彫刻「愛の像」。

ラウンジテラスからの眺望、神戸空港が見えています、遥か彼方には関西空港も見えます。

南港方面に目を移すと、WTCトレードセンタービル、長居競技場、湾岸線等が見えいます。

右奥には二上山の姿も。



風の丘芝生公園、ハンモックに揺られて気持ちよさそうです。

当日は酷暑も予想したのですがそよ風の心地よい一日でした。

後ろ姿のひまわり。

ロープウエイからの布引の滝、生田川の中流(布引渓流)に位置し、上流から順に、雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓滝(つつみだき)、雌滝(めんたき)からなる。

画像は雄滝、その下に夫婦滝が見えています。

布引の滝のしらいとなつくれは絶えすそ人の山ちたつぬる(藤原定家)

抜き乱る人こそあるらし白玉の間なくも散るか袖のせばきに (在原業平)

下山後、左手のコーヒーショップで休憩、出されたコーヒーの量の多さに一同びっくり。

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高架下


三宮センター街、元町商店街といった神戸の表向きに観光客や買い物客を多く集める商店街の裏通り的存在としてマニア、および外国人の通る姿が多く見られる通りがある。


阪急三宮高架下のチープな飲み屋街。

オジサン達のオアシス。

駅至近!安い!という事で、仕事帰りのお父さんがちょっと一杯という感じ。

男性客と一緒の女性の姿はちらほら見えますが、女性同士の客は殆どいません。

このあたりはハッピーアワーやサービスタイムというシステムがあって、お店によって時間や値段は違う。

三宮センイ商店街、ピアザkobe(三宮高架商店街)、阪急西口本通2・3丁目会、阪急西口商店街、PLiCO三宮や飲み屋街などが軒を連ねる。

戦後の闇市をルーツとする説がもっとも多くある、高架下の耐震補強工事もあり存続が注目される。

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関帝廟


この関帝廟の前身は大阪府中河内郡布施村にあった黄檗山萬福寺の末寺長楽寺であり、1892年(明治25年)に呉錦堂らによってこの地に移された。

昭和14年(1939年)関帝と天后像を祀るも、昭和20年(1945年)の空襲により長楽寺もろとも焼失した。

長楽寺跡に昭和22年(1947年)中国人有志によって関帝廟が造営され、その後拡張を重ね現在の姿となった。

本堂の屋根に一際目立つ青龍は北京の紫禁城と同じ皇帝色の瓦の上に飾られています。

宝玉をつかんで、お互いにらみ合っている青龍をみると幸せになるという言い伝えがあります

入口の山門に掲げられた「関帝廟」の扁額は、世界的に有名な書道家・于右任(蒋介石の元秘書)によるものです。

屋根にも獅子が。

関羽は、劉備と張飛と桃園の誓いを結んだ武将です。

この契りは、生まれたときは違うけれど、同じ日に死を望む義兄弟として生きていこうという約束のこと。

3人は蜀帝国の建国を目指し戦いましたが、関羽は曹操と孫権の連合軍に捕らえられて処刑されました。

劉備の一族は、関羽の死後、その功績を称えて廟を建立。これが、関帝廟の始まりです。

鉄人28号と三国志の街 新長田
ケミカルシューズの街を象徴するモニュメント、長田の復興を願って。 ふれあい花壇の … 続きを読む →

六間道の三国志なごみサロンの前には関羽の像。

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神戸中心部にある唯一の日本庭園 相楽園


相楽園は兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m²の都市公園・日本庭園。

日本の文化財保護法に基づく登録記念物の最初の登録物件である。
ツツジの名所として知られる。

旧小寺家厩舎

この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもの。

相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つ。

建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造。

外観は円型塔屋や急勾配の屋根・屋根窓と切妻飾り等々、ドイツ民家風の重厚な意匠に飾られている。

旧ハッサム住宅

設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。

竣工は1902年。
広大な日本庭園を望む南側ベランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。

明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。

1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの被害があったが修復され、現在に至る。
落下した煙突は震災の記録として前庭の一角に展示されている。

前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、現存する日本最古級のガス灯。

三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。

当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。

小寺邸内にあった茶室「浣心亭(かんしんてい)」は神戸大空襲で焼失、戦後に離れのあった、池の南側に新築された。

常時公開はしていませんが、ツツジが綺麗に咲く4月〜5月に、「つつじ遊山」という毎年恒例のお茶会イベントで一般公開されています。

船屋形(ふなやかた)は、兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物”川御座船”。

御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件である。

なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するもので、その希少性と歴史的文化的価値の高さから1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定されている。

池越しにパーラーを望む。

石段を下り、沢飛石を越えると石で囲まれたトンネルがみえてくる。

沢飛石の右手には二段落としの滝石組が作られている。


石組み・石橋・飛び石・敷石

伊予青石、丹波石、御影石、鞍馬石などを贅沢に使用しており、いろいろな表情を楽しめます。




今日のお昼はこちらのパーラーで。

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神戸海洋博物館


神戸海洋博物館は日本郵船歴史博物館(1992年開館)や呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)(2005年開館)以上の歴史を誇る。

展示内容は、近代神戸港だけでなく、平清盛が修築した大輪田泊や福原京まで遡る。

大小200点以上の船舶模型の展示は圧巻である。

前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館。
海事博物館としては世界有数の規模であり、1987年に、幕末の神戸港開港120年を記念して開館した。

波または帆船の帆をイメージさせる独特な外観の屋上構造物は白色のフレームでできており、六甲山の緑色、神戸ポートタワーの赤色との対比が美しい。

夜間は青系の光でライトアップされる。

ロドニー号とエントランスホール全体を使い、ロドニー号が大海原を超えて神戸港にやってくる映像が迎えてくれる。

ロドニーは1922年のワシントン海軍軍縮条約下で建造されたため、排水量は35,000トンまで制限されていた。

3基の3連装16インチ砲塔は全て艦前方に配置され、ヴァイタル・パートは集中化したもののその代償に低速力に悩まされることとなる。

1936年以降に新世代の戦艦が就役するまで、2隻のネルソン級戦艦は最も強力な戦艦と見なされていた。

1868年1月1日(慶応3年12月7日)の神戸開港を祝うために集まった英米仏の外国艦船18隻のうちイギリス艦船12隻の旗艦として神戸に来航し、21発の祝砲を放ち世界に向け神戸の開港を祝った。

1882年にその役目を終え解体された。

ソブリンオブザシーズ

この船は、1637年にイギリス王チャールズ1世の命により巨費を投じて建造された。

当時としては最も豪華に装飾された軍艦で、金箔を惜しげもなく使い精巧な彫刻が施された。

その光り輝く姿はオランダ海軍から「黄金の悪魔」と恐れられた。

1697年、倒れた蝋燭が引火して起きた火災により焼け落ちた。

ソレイユロワイヤル

全長=100cm。フランスのルイ14世時代、3層の甲板に106門の大砲を搭載した第1級戦列艦。

咸臨丸

日本人の操縦で,初めて太平洋の横断を果した江戸幕府の軍艦。
オランダで建造,安政4 (1857) 年進水、同年長崎に到着、10万ドルで購入された。

軍艦奉行木村喜毅、艦長勝海舟以下 98人の日本人によって航海した。
なお 11人のアメリカ士官、医者が便乗していた。

日本丸 (初代)

1930年(昭和5年)1月27日、兵庫県神戸市の川崎造船所で進水。
その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた。

4檣バーク型帆船で総帆数は29枚、 メインマスト高は46m(水面からの高さ)である。

スパニッシュ・ガレオン

スペインのガレオン船は、3本マストを搭載し、船体は500?600トンほどだった。

この船は性能よりも派手さを意識していたので、船の性能は悪くスピードもあまり出なかった。

そのため、ガレオン船は、よりスピードの出るスループ船を使用していた海賊の襲撃に弱かった。

スペインのガレオン船の船名には「ヌエストラ・セニョーラ」(我等が聖母マリアと訳される)と言う言葉が含まれることが多かった。

西欧各国でこぞって軍艦・大型商船として運用され、スペインはこれを大型化して新大陸の植民地の富を本国に護送するために使った。

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神戸市立博物館


1935年(昭和10年)に竣工した新古典主義様式の建物は、旧三菱銀行本店や丸ビル旧館などを手がけた建築家・桜井小太郎の遺作であり、横浜正金銀行神戸支店として建設され、戦後は後身の東京銀行神戸支店として使用された建物である。

狩野内膳作『南蛮人渡来図』

このコーナーでは、神戸市内出土の考古資料とともに、新しい調査成果を反映させた五色塚古墳模型、市内の主な遺跡を紹介する地図などを用いて、太古の時代に神戸で暮らしていた人々の足跡を紹介しています。

明治時代中期の外国人居留地

昭和時代初期の旧外国人居留地


平安時代の終わりには、平清盛が日宋貿易の拠点として大輪田泊の改修を進め、東アジアにつながる臨海のこの地へ都を遷そうとします。

わずか半年で都は京に戻りましたが、その後も港の重要性は失われませんでした。

大輪田泊から発展した兵庫津は、国内外の流通・貿易の拠点として繁栄しました。

この「大輪田泊」は、平安時代末には平清盛により経ヶ島が築造されて日宋貿易の拠点とされたことは著名です。

古代大輪田泊の石椋 遥かな昔の港をしのぶ
わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた … 続きを読む →


平清盛像

本作品の頭部はNHK大河ドラマ「新平家物語」での仲代達也の風貌を反映しているという。

源義経デビュー戦の地 一ノ谷を行く
須磨は源平の古戦場として有名で、敦盛、直実の死闘、義経の「鵯越の逆(坂)落とし( … 続きを読む →

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