冥界への入口に建つ六波羅蜜寺

京都府


創建年は定かではないが、平安時代の歴史書である『扶桑略記』によれば、踊り念仏で知られる市聖(いちのひじり)空也が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称したという。

空也は疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。

空也は応和3年(963年)8月に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。

当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

空也の死後、貞元2年(977年)に比叡山延暦寺の僧・中信が中興して六波羅蜜寺と改称し、天台宗に属する天台別院とした。

名称の由来は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。。

平安時代以降、六波羅蜜寺の東方には鳥辺野(とりべの)と呼ばれる葬送地が広がっていたそうで、お寺の近くには、「冥界への入口」とされる「六道之辻」の碑がひっそりと佇んでいます。

また、“幽霊子育て飴”で知られる「みなとや」や、小野篁の冥途通いの伝承が残る六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)が立つなど、この界隈は京都でも有数のミステリースポットとしても知られるエリア。

諸説ありますが、「六波羅(ろくはら)」は「髑髏ヶ原(どくろがはら)」が転じたという逸話があるなど、「あの世」の近くであることを覗わせる逸話が今に伝わります。

撮影禁止になっているためポスターを撮影。

木造空也上人立像

鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。
僧侶の肖像彫刻は坐像に表すものが多いが、本像はわらじ履きで歩く空也の姿を表している。

疫病が蔓延していた京の街中を、空也が鉦(かね)を鳴らし、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ歩くさまを迫真の描写力で表現している。

空也は首から鉦を下げ、右手には鉦を叩くための撞木(しゅもく)、左手には鹿の角のついた杖をもっている。

空也の口からは6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されている。
6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。
六体の小像は針金でつながっている。

アクセス
京阪清水五条駅から徒歩8分。
阪急河原町駅から徒歩15分。
JR京都駅から市バス約10分、清水道下車、徒歩約10分。


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