秀吉地獄の兵糧攻め 因幡の名城 鳥取城

久松山城ともいう。
中世城郭として成立、戦国時代には織田信長の家臣であった羽柴秀吉と毛利軍との戦いの舞台(中国攻め・鳥取城の兵糧攻め)となる。

江戸時代には鳥取藩池田氏の治下に入り近世城郭に整備された。
現在は天守台、復元城門、石垣、堀、井戸等を残す。

陰徳太平記によると、秀吉は若狭から商船を因幡へと送り込み米を高値で買い占めさせる一方で、河川や海からの毛利勢の兵糧搬入を阻止した。

このとき城には20日分の兵糧しか用意されておらず、この作戦により瞬く間に兵糧は尽き飢餓に陥った。
何週間か経つと城内の家畜、植物などは食い尽くされ、4か月も経つと餓死者が続出し人肉を食らう者まで現れた。

信長公記には「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」と記されている。
城主・吉川経家はこの凄惨たる状況に、自決と引き換えに開城した。

仁風閣から見上げる山上の壮大な石垣群。

復元城門

ここからはまず、江戸時代に築かれた山麓の城を見てみよう。

関ヶ原の戦いの功により近江甲賀郡水口から池田長吉(池田氏)が6万石で入り、彼によって近世城郭に改修された。

1617年(元和3年)、さらに池田光政が因幡 伯耆32万5千石の大封で入府、鳥取城も大大名に相応しい規模に拡張された。
彼によって城下町の整備も行われたという。

その後ふたたび、備前岡山藩に入っていた池田氏(長吉とは別系)と所領の交換が行われて池田光仲が入封、そのまま12代続いて明治維新を迎えた。

御三階櫓とその脇の虎口の石垣。

二の丸御三階櫓の背後の山腹には、江戸期の改築時の石切場の遺構もある。

御三階櫓
二の丸の南西隅、市街地に面して建っていた3層3重の隅櫓。
山上の丸の天守が焼失してからは鳥取城を象徴する建物となった。

石黒火事で焼失したあとも8年後に再建されている。
1階は8間四方、2階は6間四方、3階は4間四方と規則正しい逓減率となっている。

古写真によれば、黒の下見板張り・瓦葺きで、飾り破風は一切ない。
隅櫓ではあるが、その規模は三重天守の宇和島城天守(15.7メートル 3層3階)、丸亀城天守(14.5メートル 3層3階)をしのぐ。
ほぼ同じ高さのものでは、犬山城天守(18メートル 3層6階)がある。

二の丸走り櫓跡から天球丸を見上げる。

菱櫓跡に建つ、三の丸庭園跡も見える。
石垣を注意深く観察すれば「野面積み→打ち込みハギ→切り込みハギ」と推移した石垣築造技術の変遷を確認することができる。

天球丸
城主池田長吉の姉・天球院の居所があったことからこの名がつけられた。

二の丸にある神社の横から山上ノ丸への登山道がある。

ここから山頂の「山上の丸」を目指します。
「山上の丸」への道は「中坂道」とよばれ、ほとんど真上に登る急な石段。
片道20分程度と聞いていたが、とにかくキツイ、ほぼ倍近くかかってしまった。

山上ノ丸「ニノ丸」跡、ここでほぼ半分か。

ここは鳥取市内の展望が開けている。
後、天上の丸まで眺望はない。
ここから引き返してもいいよと言われ従った人もいたが、登ることとする。

あと半分を登り切りました。
途中、何度も足が上がらず、立ち止まり立ち止まりしながらの登頂であった。
ここが山上の丸だ。

本丸の井戸跡「車井戸」
関ヶ原合戦後、城主となった池田長吉が1602年(慶長7)から行った城内大改築の時に掘った井戸と伝えられている。

天守台は山上の丸の北西隅に位置する。
始原については不明な点が多いが、『因幡民談記』によると1573年(天正元年)に山名豊国が因幡守護所を布勢天神山城から鳥取城に移した際に、布勢天神山城の3層の天守を移築したとされている。

池田長吉が鳥取城主となった際、強風によるゆがみを避けるために2層に改築した。
天守台の内部には礎石らしき石が並んでいる。
中央部は穴蔵であったのか、くぼんだ構造になっている。

天守台からの眺望。
千代川、湖山池、白兎海岸が望める。

少し目を東に転ずると鳥取砂丘も見える。

秀吉の本陣が置かれた帝釈山は「本陣山」と呼ばれるようになり、現在はハイキングコースが設けられている。

御三階櫓のあった二の丸の石垣。
高さ10m近い高石垣である。

クリックして拡大して見ていただければ高石垣の中ほどに手水鉢が見えると思います。
「お左近」の手水鉢です。

近世城郭としての鳥取城の基礎は、池田長吉の時代に築かれました。
この時の工事にあたって、池田長幸(長吉の子)夫人の侍女・「お左近」の活躍はめざましいものだったようで、このお左近の手水鉢を石垣に築きこんだところ、難工事であった三階櫓も、無事完成したという伝説が残されています。

昭和三十八年、この「手水鉢」と思われる石材が発見され、三階櫓石垣の修理に際して、もとの位置に復元されました。

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鳥取城へのアクセス、行き方歩き方

住所:鳥取県鳥取市東町
電話:0857-26-3595(仁風閣)

JR山陰本線・因美線 鳥取駅から中ノ御門跡まで徒歩25分
JR鳥取駅から日ノ丸・日交バス砂丘方面行きで6分 西町下車、徒歩5分

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