明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊が眠る京都霊山護国神社

「坂本龍馬 葬送の道を訪ねる」の記事を書くために訪れた京都霊山護国神社および周囲の情報をまとめた。

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坂本龍馬と中岡慎太郎像(円山公園)
京都の公園の中で最も親しまれている円山公園に、坂本龍馬と中岡慎太郎像がある。
これは2人が揃っている珍しいもので、高知桂浜の龍馬像と並んでファンの間では有名な像である。

龍馬は立ち、慎太郎は左手に刀を握り片膝をついている。
その表情は彼らが理想とする世界を見つめているようだ。

この像は、昭和11年京都高知県人会有志により建立され、第二次大戦中に撤去されたが、昭和37年に再建されている。

高台寺の塔頭月真院
幕と勤皇倒幕という思想の違いから 伊東甲子太郎 ら数名が近藤・土方らと袂を分かちます。
その後彼らは 禁裏御陵衛士 の役目を拝命して五条橋詰近辺に移り、更に高台寺の塔頭月真院に移ります。

これが名前の由来となっています。
御陵衛士屯所跡(ごりょうえじとんしょあと)は、幕末維新の時代、孝明天皇の御陵衛士が屯所としたところ。

新選組から離脱した熱烈な勤王主義者ら15名が新選組に暗殺されるまで約5ヶ月の間、勤王派の拠点となった。
新選組は一旦加盟すると脱退/分派が不可でした。
新選組と袂をわかっただけに、新選組の襲来を恐れていつも刀を抱いて寝たという。

ただし、近年の研究では倒幕と言っても緩やかなものであり、松平春嶽らの思想に近かったものと言われている他、薩摩藩とは一定の距離を置いていたという説がある。

1868年6月29日(慶応4年5月10日)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たち(天誅組など)の御霊を奉祀するために、京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。

それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本などの諸藩が相計らい京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが神社創建のはじまりであり、招魂社である。靖国神社より古い歴史を持つ。

当初の社号を霊山官祭招魂社と称し、社格にはとくに「官祭社」に列し国費で営繕されてきた。
1936年(昭和11年)、支那事変(日中戦争)をきっかけとして国難に殉じた京都府出身者の英霊を手厚く祀ろうという運動がおき、霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、境内を拡大して新たに社殿を造営した。

参道の坂道は維新の道と呼ばれ、春は桜、秋はモミジが美しい。

現在は料理旅館となっている翠紅館(すいこうかん)跡。
勤王の志士の集会場となった所で、この場所で攘夷実行を決定した。

龍馬祭
11月15日
旧土佐藩招魂社祭、墓前祭
近江屋事件(1867年(皇紀2527)慶応3年11月15日)により、暗殺された海援隊々長坂本龍馬、下僕 藤吉、陸援隊々長 中岡慎太郎が鎮まる霊山の墓前にて行われる。
11月15日は、坂本龍馬の誕生日であり命日でもある。

坂本龍馬、中岡慎太郎が、下僕 峰吉に軍鶏肉を買いに行かせている間に遭難し、軍鶏鍋を口にすることなく亡くなったことから、一番汁を墓前にお供えされ、参拝者にも振舞われる軍鶏肉は、中岡慎太郎の郷里 高知県安芸郡北川村より寄進される。

陸軍特別操縦見習士官之碑

京都霊山護国神社は明治元年5月に、明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社です。

ちなみに、この霊山護国神社の少し北にある(円山公園の東南)長楽寺の墓地には、幕末の頃、尊王攘夷運動をしていた水戸藩第十一代藩主徳川昭武の兄、松平昭訓(あきくに:慶喜の弟)の墓をはじめ、藩士の大場一真斉、鵜飼吉左衛門、原市之進などなどの墓がある。

参考資料
黄台山 長楽寺 建礼門院が落飾した寺
新緑の長楽寺

霊山神域内には、坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允(桂小五郎)・平野国臣・宮部鼎蔵をはじめ蛤御門の変・天誅組の義拳等に加わった志士の墓三百余基があり、千三百五十六柱が合祀されており、この地は明治維新を偲ぶ大霊域・史跡となっている。

錣形(しころがた)岩右衛門之墓。
勤王力士。
京都角力横綱。
上方相撲頭取。
禁裏守護補佐力士隊長

1997年(平成9年)、大東亜戦争(太平洋戦争)を記念した「昭和の杜」が設けられた。境内にはインド独立50周年を記念し、極東国際軍事裁判にて、ただ一人、被告全員の無罪を唱えたインド代表判事パール博士の顕彰碑などが建立されている。

当時カルカッタ大学の総長であったラダ・ビノード・パール博士は、1946年、東京に於いて開廷された「極東国際軍事裁判」にインド代表判事として着任いたしました。

既に世界的な国際法学者であったパール博士は、法の真理と、研鑽探求した歴史的事実に基づき、この裁判が法に違反するものであり、戦勝国の敗戦国に対する復讐劇に過ぎないと主張し、連合国側の判事でありながら、ただ一人、被告全員の無罪を判決されたのであります。

今やこの判決は世界の国際法学会の輿論となり、独立したインドの対日外交の基本となっております。
パール博士は、その後国連の国際法委員長を務めるなど活躍されましたが、日本にも度々来訪されて日本国民を激励されました。
インド独立50年を慶祝し、日印両国の友好発展を祈念する年にあたり、私共日本国民は有志相携え、茲に、パール博士の法の正義を守った勇気と、アジアを愛し、正しい世界の平和を希われた遺徳を顕彰し、生前愛された京都の聖地にこの碑を建立し、その芳徳を千古に伝えるものであります。

1997年11月20日
パール博士顕彰碑建立委員会

霊山歴史館は幕末歴史資料館で、昭和45年(1970)に開館した。
館内は撮影禁止で、画像の紹介はありません。

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京都霊山護国神社へのアクセス、行き方歩き方

京都霊山護国神社公式サイト
幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」公式サイト

住所:東山区清閑寺霊山町1
電話番号:075-561-7124
FAX:075-531-0972

JR京都駅→市バス206系統で13分、バス停:東山安井下車、徒歩10分。
または京阪電気鉄道祇園四条駅→徒歩25分