歴史を訪ねる旅

東海

秀吉と家康が唯一本気で対決した「小牧・長久手の戦い」

この戦いで、秀吉は家康を完全に屈服させることに失敗し後に禍根を残すこととなる。また、北条、伊達もこの戦でその後が決定してしまった感がある。発端は「本能寺の変」、信長後の覇権争いの最終戦がこの地長久手で行われたことになる。幸い付近は公園として...
大阪府

城下町岸和田を散策

岸和田は岸和田藩の城下町を中心に発展してきた人口約20万人の特例市。岸和田だんじり祭で有名。大阪湾に臨む市の中心部は寛永時代(17世紀初め)以降、岸和田藩主岡部氏の城下町として栄え、明治時代中期以後は泉州綿織物を主とする紡織工業都市として発...
滋賀県

井伊家の名城 国宝彦根城

鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城である。山は「金亀山」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった。天守、附櫓及び多聞櫓は国宝、城跡は国の特別史跡かつ琵琶湖国...
京都府

恋多き情熱の歌人・和泉式部が女人往生を遂げた誠心院

恋多き女も娘に先立たれ、この世のはかなさを思い、仏門に入ります。その娘というのは、百人一首の「大江山 いく野のみちの とほければ まだふみもせず天の橋立」で知られる小式部内侍です。初代住職は平安の女流歌人・和泉式部で、別名和泉式部寺とも呼ば...
京都府

和泉式部の恋の道をたどり貴船へ

恋多き女和泉式部恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌にもっともよく表され、殊に...
京都府

花の生涯 たか女終焉の寺 金福寺

船橋聖一の花の生涯で有名なのが詩仙堂近くにある金福寺。この寺は864年の創建だが圓光寺の鉄舟和尚が荒廃していたのを再興。庭園は皐月の築山と白砂の簡素な枯山水。3段の生垣ごしには素朴な趣の芭蕉庵の萱葺き屋根が見える。3月は紅梅とあせびの花、1...
地域

紅・あかのパワースポット西江邸

日本の「あか」を支えてきた街・吹屋。その紅殻で塗られた豪商邸か゛軒を連ねる街並みは、産業遺産といえよう。しかし、吹屋の産業遺産としての真の価値は、紅殻による豪商邸ではなく、日本の紅殻生産を独占できたわけにある。それは、この邸の主・西江家によ...
地域

太平記で有名な作楽神社

『太平記』によれば、備前国の武将、児島高徳が、元弘の乱(1331年)の後、隠岐へ流される後醍醐天皇を奪回しようと船坂山や杉坂峠で試みるも失敗。この地に宿泊した際にも厳重な警備にはばまれた。その時に庭の桜の木に無念の句を彫り込んだといわれてい...
大阪府

住吉大社で森女と邂逅 溺る一休

森女と邂逅 溺る一休一休が晩年に盲目の美女と同棲をしたらしいことは、広く知られていよう。77歳のとき、一休は住吉大社薬師堂で盲女、森(しん)の舞を見て見初めます。当時、森は一休より50歳以上若かったと言いますから、二十代だったのでしょう。一...
大阪府

適塾と緒方洪庵

蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。正式には適々斎塾(てきてきさいじゅく)という。また、適々塾とも称される。緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来。緒方洪庵は文化7年(1810)備中 足守藩(現在...
奈良県

万葉で巡る三京ウォーク(藤原京、飛鳥京、平城京)

昨日に続き今日もウォーキングです。連休のメジャーでない観光地は人も車も少なく快適です。最初に訪れたのは藤原京跡、醍醐池ももう少し早い時期に来れば満開の桜が見られたのに。690年(持統4)に着工され、飛鳥浄御原宮から694年(持統8)に遷都し...
大阪府

大阪城の謎を探る

大阪城の謎を探ると題するツアーに参加した。大阪冬の陣夏の陣で家康の本陣となった天王寺から大阪城までを散策した。2013年 6月 あべのハルカス近鉄本店タワー館オープン! 集合地のアベノ公園からあべのハルカスを望む。四天王寺の南門から南へ30...