東海の20名城

北陸

福井城

復元なった山里口御門と櫓門・廊下橋廊下橋。藩主は西三の丸御座所に居住し、そこから本丸内の藩政所へ通うための専用の橋が廊下橋であった。桜はすでに盛りを過ぎている。改装なった福の井「福の井」は慶長6年(1601)の北ノ庄城(後の福井城)築城当時...
北陸

柴田勝家の居城 北ノ庄城

城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。以前の訪問記がこちらにあります、併せてお読みいただけま...
北陸

桜満開の福井城

今、福井は桜満開、福井城の散策です。早朝の福井城、登る陽を受けて桜が紅く輝く。御廊下橋、福井城内に明治初期までかかっていた木橋を現地にほぼ忠実に復元したもの。総ヒノキの橋は屋根のおかげで色あせることもなく、美しい姿を保っています。本丸跡には...
東海

桜咲く 郡上八幡城

郡上八幡城は満開の桜の中にあった前回の訪問記「司馬遼に「日本で最も美しい山城」と言わしめた 郡上八幡城」を合わせてお読みいただければ理解が深まることと思います。駐車場から山上を見上げれば、山内一豊夫妻の銅像を通して天守閣が望めるよう、木を伐...
東海

桜の季節に苗木城を訪問する

少し盛りを過ぎたが桜の時期に苗木城を訪問した苗木城の詳細は前回訪問記「巨岩と石垣との壮大な組み合わせ 赤壁城こと苗木城」に詳しく記しましたのでそちらを参照いただければ幸いです。大手口道は長さ500m、高低差150mあり「四十八曲り道」といわ...
東海

暴風雨の御前崎

東海北陸の20名城訪問ツアー2日目、御前崎の近くで昼食をいただき灯台までやってきたが、御前崎は遠州の唐っ風と呼ばれる暴風で有名なところ、おまけに雨で散々です海抜53m、光達19海里。多くの灯台を手がけた英国人リチャード・ヘンリー・ブラントン...
東海

三重の三日月掘が見どころ 武田流城郭 小山城

今川氏の没落後、武田氏と徳川氏は大井川を境として、西を徳川氏、東を武田氏と、それぞれ駿河・遠江を領有することとなるが、武田軍は大井川を越えて山崎の砦に入り小山城を築いたという駐車場より模擬天守を見上げる。過去に小山城に天守閣が存在した事実は...
東海

同心円状に堀が巡る珍しい城 田中城

全国でも大変珍しい、同心円の形をした城郭ですが、市街化が著しくてその形状を楽しむことは困難史跡田中城下屋敷跡、田中城の南東隅にあり、一色氏やその子孫古沢氏の屋敷跡だとも伝えられています。しかし、江戸時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置かれ、...
東海

玉石垣が珍しい高天神城への押さえの城 横須賀城

横須賀城は徳川家康が武田氏の高天神城を締め付ける付城群の中核として、大須賀康高に命じて築いた城郭横須賀城の特徴は他に類を見ない天竜川より運ばれた玉石垣を用いた築城法。天守閣は三層四階であった。宝永年間に起こった大地震のため湊が隆起してしまい...
東海

信玄公が攻略できなかった城 高天神城

小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ。高天神城は、山自体が急斜面かつ、効果的な曲輪の配置が施されたことで、堅固な中世城郭となっていたかな井...
東海

東海北陸20名城 二俣城

天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げたまた、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。北にある信濃側から見れば山間部から遠州平野への入り口と...
東海

東海北陸20名城 浜松城

浜松城は野面積みの石垣で有名歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。天守曲輪の石垣の特徴 邪(ひずみ)と屏風折(びょうぶおり)天守曲輪に残る石垣は、斜面上半部だけに石を積んだ「鉢巻石垣(はちまきいしがき)」...