関東

北条五代の栄華を秘める 小田原城

名城の名をほしいままにしていた小田原城も天正十八年(1590)には天下統一を目前にした豊臣秀吉21万の軍勢に包囲され、約4ヶ月の籠城虚しく落城、100年に亘る北条五代の関東支配は終焉を迎えた。銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治5...
関東

「出女」を取り締まった箱根関所

通行時間は明け6つから暮れ6つまでと規定されて夜間通行は原則禁止された。これにより、「入鉄炮に出女」に象徴される厳重な監視体制が採られた。後に、寛永年間に同じ東海道の今切関所との役割分担が定められ、今切が江戸に入る鉄砲(入鉄炮)を監視し、箱...
東海

小田原の西の防衛を担う最重要拠点 山中城

日本100名城の一つ。北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で...
東海

家康公大御所時代の居城 駿府城

今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で非常に...
東海

東海の日光 おせんげんさま 静岡浅間神社

神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称。古来、駿河国の総社として朝野の崇敬を集め、竹千代(家康の幼名)が元服式をおこなったことから特に徳川氏は厚く保護した。「浅間神社」という名は、関東近郊をはじめ、日本全国あ...
東海

東海の名城、日本初の木造復元天守閣 掛川城

日本100名城の一つ。戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内...
九州

悲劇はここから 朝鮮出兵の前線基地 名護屋城

名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城。ルイス・フロイスが「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した名護屋には、全国より大名衆が集結し、「野も山も空いたところがない」と水戸...
九州

弥生時代の大規模環濠集落跡 吉野ヶ里遺跡

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡。報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。今回の旅は...
大阪府

晩秋の箕面の滝の散策

晩秋の箕面の滝を突然訪れた。秋のかけらでも残っていまいかと期待しての訪問だった。新緑の箕面の滝は新緑の散歩道を箕面の滝へでどうぞ。ご覧のとおりほぼ丸裸の滝周辺。ウィークデーということもあり、訪れる人もまばらだ。ただ救いは時折り顔を出す陽光に...
和歌山県

錦秋の 和歌山城 西の丸庭園(紅葉渓庭園)

和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所であった。城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。勝海舟寓居跡JR紀勢本線と南海電鉄和歌山市駅から、前の道を...
地域

江戸時代の風情を残す城東町並み保存地区

津山城の散策を終え、津山観光センターでご当地名物のB級グルメ「ホルモンうどん」をいただいた後、江戸時代の風情を残すといわれる城東町並み保存地区の散策に出かけた。しかし、散策中に思わぬ驟雨に見舞われ、傘はあれど役立たずで膝下すぶ濡れでの散策と...
東海

赤目四十八滝 紅葉散策

「赤目四十八滝 紅葉散策」という題にしたものの、紅葉はほぼ終わりかけていました。1週間か10日遅かったかな、しかし、その頃は九州や広島あたりをうろうろしていたので仕方ないかな。友達と二人で出かけたが夢中になり、6時間も居座ってしまった。「霊...