奈良県

筒井家の本拠 高石垣の城 郡山城

平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された。主な城主は筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏鉄御門跡本来ならばこの斜め向かいにもうひとつ石垣があり、その上に櫓が建っていた。奈良盆地を一望す...
東海

天下人家康の究極の城 名古屋城

その絢爛豪華な造りから、徳川幕府の権力を誇示する、シンボル的な城郭としてとらえがちな名古屋城。ところがその実態は、大阪の豊臣方に対して旺盛な戦闘意欲を随所に秘めていた、まさしく「戦闘指令所」といえる巨大城郭であった。能楽堂の裏手に、加藤清正...
北陸

北の庄城 勝家が築いた幻の名城

北の庄城は天正3年(1575)に築城が始まり、織田信長の安土城天主(7層)をしのぐ、9層の天守閣を持つ日本最大級の城だったと記録に残っている。天正11年(1583)羽柴秀吉に攻められ落城。城もわずか8年で「幻の名城」となった。北の庄の地には...
北陸

継体天皇を足羽山に訪ねる

越前出身といわれる継体天皇を訪ねるべく、福井を訪れた。当日は越前各地の継体天皇ゆかりの地を散策する予定だったが、想定外の雨に見舞われやむなく今後再訪することとした。越前平野の治水と笏谷石(しゃくだにいし)採掘で知られ、洪水が治まるよう足羽山...
滋賀県

天智天皇勅願所 繖山 桑實寺

天智天皇勅願所 繖山(きぬがさやま)桑實寺(くわのみでら)標高433メートルの繖山(観音寺山)の中腹にあり、西国三十三箇所観音霊場の32番札所である観音正寺へと登る途上に位置する。寺伝では、天智天皇の四女、阿閉(あべ)皇女(元明天皇)の病気...
京都府

大阪と京を結んだ水陸の要所 淀城

淀は「与渡津」(淀の港の意)と呼ばれ、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地であった。また、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝であった。寛永10年(1633年)松平定綱が大垣...
大阪府

キリシタン大名高山右近の高槻城

室町時代は入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。天正元年(1573年)からは本格的な城塞が築かれた。豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。内藤氏の後は土岐氏、...
京都府

ガラシャゆかりの勝竜寺城

勝竜寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として有名。天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。南側から見た堀と塀、向こうに見えるのは北東隅櫓...
滋賀県

琵琶湖にたたずむ湖城 長浜城

1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠さ...
関東

北条五代の栄華を秘める 小田原城

名城の名をほしいままにしていた小田原城も天正十八年(1590)には天下統一を目前にした豊臣秀吉21万の軍勢に包囲され、約4ヶ月の籠城虚しく落城、100年に亘る北条五代の関東支配は終焉を迎えた。銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治5...
関東

「出女」を取り締まった箱根関所

通行時間は明け6つから暮れ6つまでと規定されて夜間通行は原則禁止された。これにより、「入鉄炮に出女」に象徴される厳重な監視体制が採られた。後に、寛永年間に同じ東海道の今切関所との役割分担が定められ、今切が江戸に入る鉄砲(入鉄炮)を監視し、箱...
東海

小田原の西の防衛を担う最重要拠点 山中城

日本100名城の一つ。北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で...