2025年初詣 住吉大社

大阪府

参拝者があまりにも少ない


今年は統計的に一番参拝者の少ない5時をめがけて参拝。

しかし、あまりに少ない、ちょっと拍子抜けだ、やはり信仰離れが進んでするのかな。

画像は昨年のもの、違いが多すぎる。
例年は三が日に200万人以上が訪れるといわれるが今年はどうかな。
人は多いように思う。

以前は境内にぎっしり夜店も出てにぎわっていたが最近はで店もなく静かです。

昔は住吉大社駅から太鼓橋を渡るまで小1時間かかったものだ。

あまりの少なさに拍子抜けしています。

過去にこんな初詣風景は見たことがありません。

第四本宮。
昔はお賽銭を上げるところまで少しづつしか進まず、後ろからお賽銭が飛んできたりしたものですが、起用はこんな具合です。

若水の儀


画像は2013年に撮ったものですが若水の儀です。
若水の儀は、早朝5時に宮司さん自らが第四本宮前にある神井から御神水(若水)を汲み上げ、各本宮にお供えする神事です。
神井とは神さまが飲むといわれている井戸のこと。
神井から汲み上げられる水は神聖なものとされ、どこの神社でも大切にされています。

この井戸、普段は蓋がされているので意外と見落としているかも。

こんな初詣見たことない。

第二本宮。

約3万坪ある住吉大社の境内には本殿4棟、摂末社あわせて27社あり、さらに多数の名所旧跡があります。

種貸社


住吉大社境内の種貸社は神種を授ける神様として、各種農業の種、子授けや商売の元手となる資本金、良い知恵を授けて下さる神様として篤く信仰されております。
種貸社では子宝祈願や新生児の命名を承っておられます

一寸法師伝説


昔話で有名な『一寸法師』は住吉様の申し子だったのです。

室町時代後期から江戸時代初期にかけて成立したといわれている物語集『御伽草子』に出てくるお話です。

子供に恵まれない老夫婦が、住吉の神様にお願いをし、やっと子供が授かりました。
しかし、その子は1寸(約3cm)しかなく一寸法師と名付けられました。

やがて一寸法師は志を立て、お椀の船に乗り、腰には針の剣を差し、お箸をオール代わりにして住吉の浦より京へ上ります。

最後は見事、立身出世を果たし「住吉の御誓ひに末繁昌に栄たまふ。
よのめでたきためし、これに過ぎたる事はあらじとぞ申し侍りける。」と物語は締めくくられます。
この信仰は、子宝の神、安産の神、立身出世の神として現在も広く崇敬を集めております。

大海神社


大海神社(だいかいじんじゃ)は住吉大社の離れにあるので、一見別の神社かな?と勘違いしてしまう方も多いようです。

実際には住吉大社の摂社に当たるのですが、非常に格式が高く、重要文化財にも指定されています。

満潮になる玉を沈めた「玉の井」

そしてこちらの井戸ですが神話の時代からある井戸で、塩満玉(しおみつたま)という海を満潮にする事ができる玉をここに沈めたとされています

島津忠久誕生石


伝説によると・・・

源頼朝に仕えていた丹後局(丹後内侍)が頼朝の子を身籠もると、怒った北条政子は畠山重忠に殺すよう命じた。

重忠は家臣の本多次郎近常(親恒)に命じて丹後局を由比ヶ浜に誘い出すが、殺すことはできず、身代わりを立てて逃がしたのだという。

そして、丹後局は摂津国住吉に辿り着き、無数の狐火に導かれて住吉大社に至ったのだという。

社頭で産気づいた丹後局は、傍らの大石を抱きながら男児を出産。

のちに頼朝は、その子に薩摩・大隅二か国を与えた。

それが島津氏の祖・島津忠久なのだとか。

忠久の「忠」は、畠山重忠の一字を与えられたのだとも伝えられている。

「太鼓橋」


通称で「太鼓橋」とも呼ばれる。
橋の長さは約20m、幅は約5.8mの木造桁橋である。
橋中央部の高さは4.4mで、中央部を頂点として半円状に反っている。
最大傾斜は約48度となっている。

橋については慶長年間(16世紀末~17世紀初頭)に最初に造営されたと伝えられている。
造営者については、豊臣秀頼が造営したという説と、淀殿が造営したという説がある。

架橋当時は住吉大社付近に海岸線があり、本殿と対岸の入り江を結ぶ目的で架橋された橋だとされている。
現在は池の上に橋が架かっている形になっているが、この池は当時の入り江の名残だとされている。

橋の基礎部分については創建当初のものをそのまま使用していると考えられている。
その一方で、木製の橋桁や欄干は老朽化に伴って何度もかけ直され、直近の掛け替えは2009年に行われた。

三葉松


「住吉三葉松 植樹式」が第一本宮で松苗神事とともに執り行われ、高野山より三葉松が奉納されましたが、この松は、あの高野山開創に名高い「三鈷の松」と同種の松とのこと。

大同元年(806)、弘法大師が唐から帰国する際、日本で密教を広めるのにふさわしい聖地を求めて、唐の明州の港から仏具である「三杵」を投げました。帰国後にそれを探し求めると、高野山の松の木にかかっていたと伝えられ、それ以降この松は「三の松」と呼ばれています

日が昇ってきました、汐掛道を家路へ急ぐ。

アクセス

南海鉄道
・南海本線「住吉大社駅」から東へ徒歩3分
・南海高野線「住吉東駅」から西へ徒歩5分

阪堺電気軌道
阪堺線 「住吉鳥居前駅」から徒歩すぐ