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秀吉出世の地 墨俣一夜城

1561年(永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。 これがいわゆる墨俣一夜城であるが、不明な点が多く、様々な議論がある。 現在...
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日本の滝百選 平湯大滝

戦国時代、武田信玄の家臣山県昌景軍が飛騨攻めの最中、峠超えの疲労と硫黄岳の毒ガスにより疲弊し、平湯大滝付近で動けなくなってしまう。 その時、一匹の白猿によって教えられた温泉につかって疲労を回復したという伝説がある。 この温泉が平湯温泉である...
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紅葉の阿弥陀ヶ滝

長良川の源流の一つ、前谷川の上流に位置する阿弥陀ヶ滝と紅葉の様子をお届け。 昭和33年に県指定名勝となり、昭和61年には「岐阜県の名水50選」、平成2年には「日本の滝百選」に選ばれている名瀑である。 白山信仰の修験道(滝行)の地である。 全...
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兵どもが夢のあと 関ヶ原合戦地をゆく

天下分け目の関ヶ原、用意周到、細心の注意で臨んだ家康と、自分の才能を頼み、策におぼれた三成の戦いでした。 家康は関ケ原合戦早朝に、赤坂から桃配山に兵を移動し、桃配山の中腹に陣を敷きました。 この山は、関ケ原合戦以前の壬申の乱にて、勝者である...
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長篠の合戦って正確には設楽原の合戦じゃないの

正確には設楽原の合戦だが、徳川方の長篠籠城に続いて行われた戦闘だから、長篠合戦の名で呼ばれる。 徳川方が参加している戦争はすべて徳川幕府の記録本位で名がつけられている。 その意味でも権力者の歴史である。 いつの場合でも勝った側が歴史書を残す...
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武田氏壊滅のきっかけとなった戦いと長篠城

長篠城付近図、実際の戦場となった設楽原は図の左欄外。 長篠城はちょうど二つの川の合流点に位置しているのだが、その川の側は断崖絶壁であり堅固そのものである。 重火器が中心の現代戦ならともかく、飛び道具と言えば火縄銃や弓矢が中心だった戦国時代に...
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戦国武将の野望を物語る 岐阜城

今年3月に訪問した時の記事戦国の攻防を伝える美濃の名城 岐阜城がこちらにあります。 なるべく重複を避けて書いたつもりですので併せてお読みいただけるとありがたいです。 木下藤吉郎の千成瓢箪発祥の地 『永禄10年(1,567)8月14日、木下藤...
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尾張名古屋は城で持つ 家康の居城

名古屋城は、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城。 「名城(めいじょう)」、「金鯱城(きんこじょう、きんしゃちじょう)」、「金城(きんじょう)」の異名を持つ。 昨年6月に訪問した時の記事天下人家康の究極の城 名古屋城がこちらにありま...
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紀州徳川家の飛び地 田丸城

田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれる平山城であり、三重県指定史跡である。 本日も 手に持たずにさせる折りたたみ傘 肩ブレラが大活躍です。 本丸虎口、石垣が段々になっているのがよく分かる。 戦国時...
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幕府直轄の宿場が置かれた亀山城は花しょうぶが真っ盛り

亀山は今回で三回目の訪問となるが、城下では花しょうぶまつりが行われていた。 関連記事:東海道46番目の宿場町 亀山宿 散策  東海道を睥睨(へいげい)する 亀山城 江戸時代初頭には丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴の間違いによ...
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織田信長が領した神戸(かんべ)城

神戸城は三重県鈴鹿市にある。 神戸氏4代の神戸具盛が天文年間(1532年 - 1555年)に築城し、本拠地を澤城(神戸西城)から移した。 滝川一益の侵攻に和睦し,養子にうけいれた織田信長の3男神戸信孝により、より強固に修築された。 城主は度...
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日本三大観音 大須観音

大須観音(おおすかんのん)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山。 本尊は聖観音。 寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と称し、宗教法人としての公称は「宝生院」だが、一般には大須観音の名で知られる。 日本三...