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キリシタン大名高山右近の高槻城

室町時代は入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。天正元年(1573年)からは本格的な城塞が築かれた。豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。内藤氏の後は土岐氏、...
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晩秋の箕面の滝の散策

晩秋の箕面の滝を突然訪れた。秋のかけらでも残っていまいかと期待しての訪問だった。新緑の箕面の滝は新緑の散歩道を箕面の滝へでどうぞ。ご覧のとおりほぼ丸裸の滝周辺。ウィークデーということもあり、訪れる人もまばらだ。ただ救いは時折り顔を出す陽光に...
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世界の花と緑に会える 咲くやこの花館

梅雨の晴れ間に咲くやこの花館にでかけた。ウィークデイの植物園はゆったり見られて最高だ。咲くやこの花館は、花博記念公園鶴見緑地内にある屋内植物園。日本最大の温室(延床面積6900m²)を有する。名前は、古今和歌集に紹介される『難波津の歌』(難...
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猪伏山 千亀利城と呼ばれた岸和田城

岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになった。城内にある岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結び...
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廻遊式日本庭園 五風荘(ごふうそう)散策

五風荘(ごふうそう)は、岸和田城二の郭にあった「新御茶屋」および「薬草園」の跡地に旧寺田財閥当主で岸和田市長を務めた寺田利吉の別邸として昭和4年(1929年)から10年をかけて造成された。入り口も立派な構えです。平成21年(2009年)度か...
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城下町岸和田を散策

岸和田は岸和田藩の城下町を中心に発展してきた人口約20万人の特例市。岸和田だんじり祭で有名。大阪湾に臨む市の中心部は寛永時代(17世紀初め)以降、岸和田藩主岡部氏の城下町として栄え、明治時代中期以後は泉州綿織物を主とする紡織工業都市として発...
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勝運祈願の寺 勝尾寺散策

先日の箕面の滝までのコースの続きは勝尾寺までのコース。勝尾寺へ直行するコースは山腹を巻きながらこれに並行して進むのに対し、東海自然歩道は山の尾根伝いに歩く。アップダウンもあり、本格的なハイキングといった感じ。今回は東海自然歩道を行く。滝を過...
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新緑の散歩道を箕面の滝へ

滝道はもう新緑の季節です。阪急箕面駅から2.8キロの比較的緩やかな道のりを森林浴の散歩としゃれ込みました。「日本の滝百選」 にも選定されている落差33mの箕面大滝は、その流れ落ちる滝の姿が、農具の 「箕」 に似ていることから、箕面滝と呼ばれ...
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難波神社と人形浄瑠璃

植村文楽軒が1811年(文化8年)に難波神社境内に人形浄瑠璃の小屋を開いた。明治の初め、文楽軒が九条の新開地に移った跡に「彦六座」が開かれ、御霊神社の境内に帰った「文楽座」とはり合った。参照御霊神社と文楽座跡難波神社の鳥居。神社には4方に鳥...
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北御堂と南御堂

東側の御堂筋は、北御堂と南御堂(真宗大谷派 難波別院)を繋ぐ道であることに由来する。正式名称は「浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院」。別院名の「津村」とは摂津国西成郡の郷名で、入り江であった古代の円江(つぶらえ)から転じたと言われる。市街化さ...
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住吉大社で森女と邂逅 溺る一休

森女と邂逅 溺る一休一休が晩年に盲目の美女と同棲をしたらしいことは、広く知られていよう。77歳のとき、一休は住吉大社薬師堂で盲女、森(しん)の舞を見て見初めます。当時、森は一休より50歳以上若かったと言いますから、二十代だったのでしょう。一...
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御霊神社と文楽座跡

御霊神社(ごりょうじんじゃ)の創立は、大古大阪湾が深く入りこんで海辺はぬかるみ、芦荻が繁茂して圓江(つぶらえ)と云い円形の入江に創祀された圓神祠に始まる。淀屋橋の大阪ガスビルの裏手に位置します。文禄3(1594)年、境内の小祠乾八幡宮と源正...