京都府

京都府

「粟田御所」と呼ばれた青蓮院門跡

青蓮院は、三千院(梶井門跡)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。江戸時代に御所の火災により仮御所となったことがあり、「粟田御所」と称される。門跡寺院らしい建物や庭園は王朝文化の遺構とされ、また「旧仮御所」として国の史跡に指定されてい...
京都府

角倉了以別邸跡 高瀬川源流庭苑

現在のみそそぎ川は京都府立医大病院の北側で鴨川から取水し、そのまま暗渠で荒神橋を越え、京都市職員厚生会職員会館のあたりで河川敷に姿を現す。そのまま二条橋の下を流れ、その流れの一部が高瀬川源流庭苑へ入り、高瀬川に注ぎ込んでいる。「がんこ高瀬川...
京都府

高瀬川の源流を求めて鴨川を行ったり来たり

鴨川の源流庭園を紹介してからやたらとその前はどうなっているんだろうと気になりだした。さっそく出かけて出町柳から二条大橋まで行ったり来たり。結局目に見える形で取水口を見ることはできないんですね。安定した流量を確保するためにはそれなりの工夫が必...
京都府

木屋町通を四条から七条まで歩く

今回は木屋町を四条から南へ歩いてみる。三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっているが、南へ行くとガイドブックに載っているような木屋町通じゃない少し趣の違った姿を見せてくれる木屋町通(きやまちどおり)は、京都市の南北...
京都府

祇園白川に 明智首塚

1582年(天正10年)、天正天王山の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智光秀は、坂本城を目指して落ちていく途中、小栗栖の藪の中で土民に襲われて命を落とします。光秀の首は秀吉の手に渡り、本能寺に晒されたとも、粟田口の刑場に晒されたとも伝わります。白川...
京都府

悲運の武将 明智光秀終焉の地

地下鉄東西線醍醐駅から、徒歩で15分程でしょうか。枯れ寂びた藪の中、明智薮”が残されています。本経寺敷地内にある光秀公供養塔近江、坂本城主、 明智光秀は天正十年 6月2日 (1582年) “本能寺の変” に依り 天下を征服したが、その後 明...
京都府

沖田総司の恋人の墓? 光縁寺 新選組隊士の墓

紋所が引き合わせた縁と沖田総司の女性関係が取りざたされる興味尽きない寺です。門前には新選組の墓と書かれている。墓への参拝は、左手のくぐり戸から入りそっとお参りする。光縁寺は、1613年(慶長18年)頃に創建された浄土宗の寺で、知恩院の末寺に...
京都府

坂本龍馬 葬送の道を訪ねる

本日の目的は竜馬葬送の道を訪ねることにある。現在では高山寺参道脇の道を上がり、京都霊山護国神社より訪ねるのが普通だが、当時、実際に葬送の行列が進んだ道はそうではないのだ。実際の葬送の列は二年坂から霊鷲山正法寺の参道を霊明神社に向かったに相違...
京都府

お龍さんゆかりの地を訪ねる

今まで紹介してきたものと今回訪れた地をまとめて京都のお龍さんのゆかりの地として紹介します。明治5年頃撮影の写真(ウィキ)本名は楢崎龍(ならさき りょう/1841年~1906年)で、京都柳馬場三条南で医業を営む楢崎将作を父に、母重野貞の長女と...
京都府

武信稲荷神社 龍馬とおりょうの榎

龍馬とおりょうの出会いを導いたエノキ。今も縁結びを願う人が絶えない(京都市中京区・武信稲荷神社)武信稲荷神社は創祀者の藤原良相公が長として一族の名付けをされていたことから、名付け・命名に所縁の神社として知られています。後世には藤原武信という...
京都府

龍馬 お龍「結婚式場」跡(青蓮院塔頭金蔵寺跡)

竜馬の足跡を訪ねているが今日はその葬送の地を訪れようとしている。その前に御両人が祝言をあげたといわれる地を訪ねてみる。それは三条通りを東に進み白川を超えたあたりにある。「パーク・ウォーク京都東山」という賃貸マンションの前がそうだ。建碑地のビ...
京都府

時代祭でおなじみの玉蘭 絵かき夫婦のホンワカ人生

八坂神社の境内で大雅が三味線を弾いて唄うと、玉瀾は琴を弾じて合奏し、ともに仲良く楽しんでいた。時代祭での玉蘭1728-1784江戸中期の女流画家。京都に生まれる。旧姓は徳山、名は町、歌集『梶の葉』で知られる歌人梶を祖母に、母も同じく歌人の百...