日本100名城 中山道の治め 甲府城 甲府城は武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された。 関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。 かつては20haほどの広大な城郭でした... 2014.07.29 日本100名城甲信越
日本の町並み 花子の過ごしたまち甲府 新府城、武田氏館、積翆寺と見て回り、今日の泊りは花子の過ごしたまち甲府の甲府ワシントンホテルプラザです。 今回も朝食前の早朝散策に出かけた。 画像はJR甲府駅、中央本線と、当駅を終点とする身延線の2路線が乗り入れている。 甲府という名称は、... 2014.07.28 日本の町並み甲信越
名城の旅 信玄出生地 積翠寺 積翠寺は甲府市街地を形成する相川扇状地の頂部、甲府駅の北約4キロの標高約540〜700メートル、国の史跡に指定されている要害山城の麓に位置している 積翠寺近在の要害山城は、『高白斎記』に記される武田信玄生誕の地でもあり、現在も同寺院には信玄... 2014.07.27 名城の旅甲信越
京都府 祇園祭2014 後祭の山鉾巡行・花笠巡行 京都・祇園祭で、49年ぶりに復活した後祭の山鉾巡行が24日、京都市中心部で行われた。 場所をうまく選べは山鉾と花笠の両方が見られる。 山鉾と花笠の両方が見られる最良の場所は市場河原町交差点、9時過ぎに到着したが既にいい場所はほぼ埋まっていま... 2014.07.26 京都府日本の祭り・伝統行事
日本100名城 三代にわたる甲斐源氏武田氏の本拠躑躅ヶ崎館 躑躅ヶ崎館は戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。 信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能し、後に広域城下町としての甲府や、近代以降の甲府市の原型となる。 勝頼は... 2014.07.25 日本100名城甲信越
名城の旅 わずか60日あまりで捨てられた新府城 新府城は勝頼が築城し、甲斐武田氏の城郭技術の集大成と評価される崖端城。 一般には、武田氏は次々に領土を減らしていく一方になり、信玄の「人は城」という伝説(『甲陽軍鑑』『名将名言録』)を理念にできるほどの余力はなかったとされる。 しかし、新府... 2014.07.24 名城の旅甲信越
滋賀県 3代将軍家光上洛の際の宿館 水口城(水口御茶屋) 関ヶ原の戦い後、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定された。 その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。 これが水口城(水口御茶屋)である。 作事奉行は小堀政一(遠... 2014.07.23 滋賀県近畿の20名城
滋賀県 悲運の関白 秀次の居城 近江八幡山城跡 豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。 代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期に八幡山城が廃城となると京極高次は大津城へ移った。 築城か... 2014.07.22 滋賀県神社仏閣近畿の20名城
京都府 3度に渡って築城された伏見城 伏見城は3度に渡って築城され、最初の城は朝鮮出兵(文禄の役)開始後の1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設を始めた。 このとき築かれたものを指月伏見城、後に近隣の... 2014.07.21 京都府神社仏閣近畿の20名城
奈良県 山辺の道 雨中散策 梅雨の季節、山の辺の道を桜井から大神神社まで歩きました、カメラ片手の散策ですからなかなかはかどりません。 初瀬川と三輪山、もう少しガスっていたのですが撮影ポイントに着くまでにガスが少なくなってしまいました。 隠国(こもりく)の 泊瀬(はつせ... 2014.07.20 奈良県歴史を訪ねる旅神社仏閣
奈良県 元興寺世界遺産めぐり 元興寺(がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身である。 法興寺は平城京遷都に伴って飛鳥から新都へ移転し、元興寺となった(ただし、飛鳥の法興寺も... 2014.07.19 奈良県神社仏閣
奈良県 朝廷の武器庫 石上神宮 『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけであり、その記述によれば日本最古設立の神宮となる。 又大神神社と同じ日本最古の神社として有名です。 元々は古来朝廷の武器庫として物部氏が守っていたようです。 別名として石上振神宮、石上坐... 2014.07.18 奈良県神社仏閣