"司馬遼太郎"

九州

悲劇の城 原城

島原半島の南部に位置し、明応5年(1496年)、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれた。有明海に張り出した丘陵にあり、本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などで構成されていた。今日の天気予報は雨、しかし、まだ大丈夫のようだ。それより蒸...
九州

放虎原殉教地 悲劇は何故再び

放虎原は江戸時代大村藩の刑罰場であった所で、1624年、1630年と1658年に日本に潜伏していた宣教師らと大勢のキリシタンが処刑された。なぜこのような悲劇が再び起きたのか、時代背景とともに見てみよう。この殉教レリーフは、田中秀和氏の作。日...
京都府

産寧坂の早咲き枝垂れ桜ははや満開

産寧坂(さんねいざか)は三年坂(さんねんざか)とも呼ばれる、東山の観光地として有名。早咲き枝垂れ桜ははや満開です。京都の早咲き桜の名所は当ブログの下記記事で紹介しています。京都 早咲きの桜を求めて西東降り注ぐように咲き誇る京都御苑 近衛邸跡...
東海

織田信長が敦盛を舞い、桶狭間へ出陣した清州城

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」と敦盛の一節を舞い、茶漬けを食べながら、螺(ほらがい)を吹け、具足をよこせと出陣していくシーンは映画やドラマでよく出てきます。引治元年(1555)織田信長公が那古野城から入城、永禄3年(...
東海

秀吉出世の地 墨俣一夜城

1561年(永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城であるが、不明な点が多く、様々な議論がある。現在、墨...
北陸

日本一の苔を見に 平泉寺白山神社にやってきました

白山の登拝口に建てられた平泉寺は、古代から中世後期にかけて白山信仰の拠点寺院として大きな宗教勢力を誇った。最盛期には48社、36堂、6千の坊院が寺内に存在したと伝えられている。最盛時の平泉寺の寺領は9万石に達したという。戦国の雄・越前朝倉氏...
東海

司馬遼に「日本で最も美しい山城」と言わしめた 郡上八幡城

現在の天守は、大垣城(当時)を参考に1933年(昭和8年)模擬天守としては全国的にも珍しい木造で造られた。山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。城自体は小規模だが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変...
九州

人吉のパワースポット巡り 青井阿蘇神社

今日から南九州の名城を訪ねる旅です。あいにくの雨で肌寒い日でした。先ずは人吉のパワースポット、青井阿蘇神社からスタートです。二ノ鳥居の鳥居の奥に楼門。県下の名社の一つである「青井阿蘇神社」は、人吉球磨地方の総鎮守。昔から「青井さん」と呼ばれ...
京都府

坂本龍馬 葬送の道を訪ねる

本日の目的は竜馬葬送の道を訪ねることにある。現在では高山寺参道脇の道を上がり、京都霊山護国神社より訪ねるのが普通だが、当時、実際に葬送の行列が進んだ道はそうではないのだ。実際の葬送の列は二年坂から霊鷲山正法寺の参道を霊明神社に向かったに相違...
東北

東北地方唯一の現存天守を持つ桜の名所 弘前城

弘前城(ひろさきじょう)は、別名・鷹岡城、高岡城。津軽統一を果たした初代藩主津軽為信が慶長8年(1603)が築城を計画、2代藩主信枚によって完成した。亀甲門(かめのこもん)/北門北門はまたの名前を亀甲門と呼びます。中国の古い言い伝えによると...
奈良県

苔むす石垣に名城の面影を偲ぶ 高取城

高取城は別名、芙蓉城ともいわれ近世山城の典型としてよく知られ、巽高取雪かと見れば雪でござらぬ土佐の城とうたわれている。司馬遼太郎が、日本一の山城とたたえた石垣が堅固な城。遠く高取の町並みを望む。彼方には二上山の姿がきれいに浮かぶ。この辺りは...
地域

全山を要塞化した 安芸郡山城

城は江の川と多治比川に挟まれた吉田盆地の北に位置する郡山全山に及ぶ。吉田郡山城は毛利氏が広島城へ移るまで使われた。吉田歴史民俗資料館毛利家が活躍した戦国時代を中心に、吉田の歴史と民俗を紹介した資料館です。安芸郡山城へはここからスタートです。...