桜咲く 郡上八幡城

郡上八幡城は満開の桜の中にあった。
前回の訪問記「司馬遼に「日本で最も美しい山城」と言わしめた 郡上八幡城」を合わせてお読みいただければ理解が深まることと思います。

駐車場から山上を見上げれば、山内一豊夫妻の銅像を通して天守閣が望めるよう、木を伐採してある。

心を少しずらせば満開の桜。

像の側に「土霊水(井戸)」といわれる井戸がブッシュに隠れたようにしてある。
歴代城主が御殿を構えて日々の飲料水として使用した井戸と説明板にあった。

丸門、岐阜城を模して作ったといわれる、天守へと行ける桜の丸への入り口。

桜の丸から下を見渡せば、長良川の向こうに東海北陸自動車道が見える。
この道路から、天守がきれいに見えます。

東殿山城、標高520m、比高282m。

郡上八幡城の前方の高い峯は東殿山で、東側の頂上が城跡である。
天文十一年(1542)頃、東常慶(東氏十三代目)によって築かれた城で、東西南北約三十メートルの四辺形をなし、断崖と急斜面の天然の要害である。

現在西側には四段に分かれて周囲に石垣が残されている。

千代 悪女説

山内一豊の妻千代は1556年(弘治2年)初代郡上八幡城主遠藤盛数の長女として生まれた。
千代が6歳の時に父盛数は病死、その後母の再婚、義父の敗北そして流浪、波乱の人生がはじまる。

やがて千代は尾張の山内一豊の許へ嫁ぐ。
千代の出生地には諸説あり、この八幡町と米原市近江町の二つが有力である。

山内一豊といえば、へそくりで夫に馬を買わせたという美談の持ち主だが、これは実話ではないと歴史作家永井路子はいう。

江戸後期または明治になって、女子教育の必要から、歴史上の女性の中からたねを探したというのが話ではないだろうか。

古来、良妻と言われているが、わが子を持たなかったがゆえに、おねの轍を踏み、夫没後に城を去る。  

悪女だとおっしゃるのは中島道子さん。


戦国の「いい妻」「ダメな妻」

おもしろい本です一読を。

千代の像は岐阜城、高知城にあります。
戦国の攻防を伝える美濃の名城 岐阜城

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郡上八幡城へのアクセス、行き方歩き方

住所:岐阜県郡上市八幡町柳町一の平65-9
電話:0575-67-1819 (郡上八幡城)

長良川鉄道郡上八幡駅からまめバス赤ルートで13分、城下町プラザ下車、徒歩20分